著者 |
生島淳 |
出版社 |
幻冬舎新書 |
出版年月 |
2011年11月 |
価格 |
\760(税別) |
入手場所 |
Amazon.com |
書評掲載 |
2012年2月 |
評 |
★★★☆☆ |
|
年々競争が激化し、優勝争いだけではなく、シード権争いや予選会ですらも注目されている「箱根駅伝」。
風光明媚な東海道・箱根路を駆け抜けるコース設定や、200km超もの距離を2日間にかけて10人のランナーが継走するという壮大な区間設定も相まって、ローカルな陸上競技大会とは思えないほどの認知度と人気の高さを誇っている。
それにしても、なぜ近年はこれほど各大学の戦力が拮抗し、過熱気味とも思える注目を集めているのだろうか。
著者はここ数年、箱根駅伝の功罪に関する書籍を執筆し、過剰な報道や大学経営との関係について持論を展開し続けている。
日本テレビによる完全生中継が始まって以降、絶大な宣伝効果を期待する大学側のバックアップのもと、「駅伝」を強化する大学が急増している(決して「陸上競技」全般を強化しようとしているわけではない)。
それは知名度の高い「ブランド校 (P150)」も例外ではなく、ここ数年、明治大や青山学院大といった、高校生に人気の高い大学が本腰を入れて強化に取り組んできているという。
また著者は、「かつて、昭和の時代にいまの明大、青学大のポジションにいたのが日体大だ。 (P155)」と指摘し、教員となることが地位や経済的な安定につながる時代背景に適合していたが、教員枠が減少している現在、その価値が相対的に低下し、有力高校生のスカウト活動に難航しているのではないかとも推測している。
そのように考えると、箱根駅伝における各大学の勢いは、その時代を象徴していると言っても過言ではないのかもしれない。
ところで、これまでに著者が上梓した同大会に関する2冊(「駅伝がマラソンをダメにした」、「監督と大学駅伝」)のタイトルにはなぜか「箱根」の2文字が入っていなかったのだが、今回初めて、名実ともに「箱根駅伝」だけをターゲットに絞ってきた。
だが、そのテーマや意見は従来の焼き直しがほとんどで、情報を最新版にアップデートさせただけ、という印象だ。
この大会の歴史や意義には軽く触れるだけで、副次的な領域のテーマしか扱っていないにも関わらず、大胆にもこの大会を総括するかのようなタイトルを掲げてしまうことには違和感を覚えてしまう。
その上、本書は2012年箱根駅伝の観戦ガイドとしての意味合いが強く、後世に残したい書籍ではない。雑誌のコラムとしては良くできているが、このような大御所気取りのタイトルで書籍化してしまったことは、著者と出版社の見識を疑ってしまう。
一方で、駅伝とマラソンの関係における考え方には共感できる部分が多かった。
特に、日本勢が「積み上げ方式」でマラソンレースを組み立てるのに対して、アフリカ勢は「減算方式」のようだという考察は興味深い(P205)。
また、「スポーツの世界では「発想」や「言葉」は競技力に影響する場合が多い (P206)」という考え方も新鮮で、とても興味を惹かれた部分だ。
それだけに、大会の人気に便乗したかのような印象を与えるタイトルは、本書の本質を見失わせかねない。
|