著者 |
生島淳 |
出版社 |
光文社新書 |
出版年月 |
2005年12月 |
価格 |
\700(税別) |
入手場所 |
bk1 |
書評掲載 |
2006年4月 |
評 |
★★★☆☆ |
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正月の怪物番組へと成長した「箱根駅伝」をメイン・ターゲットに据え、指導者や選手が駅伝偏重に傾いていることに警鐘を鳴らす内容で、とてもわかりやすいタイトルだ。 関係者の間では広く語られてきたテーマで、これまで専門誌等の特集記事でされた議論の焼き直しだろうと期待していなかったけれど、一般向けにやさしく、スッキリと書かれていて、改めて一冊の本としてまとめられると、問題がいつから、どのようにして発生したのかが、時間の流れを追って整理できる。
著者は、かつて東京学芸大や東京大といった「国立のフツーの大学生 」が箱根を走ることができた「牧歌的な時代 」を懐かしみ、山梨学院大の台頭に端を発する、「日テレ時代 」の到来が転換期だったと指摘する。 マスコミから破格の対応で取り上げられ、宣伝効果が抜群に高いことから、各大学が生き残りを懸けてこぞって強化に着手し、結果として箱根駅伝(だけ)が関係者にとっての唯一の関心事になってしまった。 著者はこれら近年の異常な人気を「箱根駅伝バブル 」と命名して、マラソンはもとより、トラック種目すら軽視する主従逆転現象を危惧し、男子選手の国際的競争力の低下に警鐘を鳴らしている。
本書は、タイトルから想像すると、終始一貫して駅伝批判をしているかと思いきや、その一方で駅伝の功績についても数多く触れている。 そもそも、この著者は駅伝・マラソンが大好きなんだという様子が、文章からにじみ出ていて好感が持てる(特に、駒大・大八木監督の苦労人ぶりや、順大の「マルサマーク」の疑問など、ちょっとしたエピソードが興味をそそる)。
しかし本書は、あまりに簡便なつくりだ。 おそらく、著者は本書の執筆過程で、一切取材活動をしていないで、手許の資料と、懇意にしている矢野龍彦氏との対話だけをベースに、大部分が著者の持論を展開することのみに終始している。 たとえば、山学大・上田監督を名将と称えながら、「(彼の話を)いつか聞いてみたい 」と、取材に時間を割くことを棚上げし、各大学のカラーを探ると言っては、雑誌に掲載された選手の写真から、「髪の色と長さ」を題材にして、部内の規律について「推測」するなど、言いたい放題に書きながら、それを裏付けようとする姿勢が全く見られない。 要するに本書は、ちょっと事情通のオッサンらによる居酒屋談義なのだ。 それはそれでおもしろいが、偶然にバカ売れする淡い期待を抱きながら新書乱発競争を繰り広げ、時間と費用を削り、質を問わない出版業界の姿勢に対しても、私は強い警鐘を鳴らしたい。
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