男子マラソン界にスター選手が続々と生まれている。
今年(2018年)に入り、設楽悠太が2月に東京マラソンで日本記録を更新するや、先月(10月)には大迫傑が2時間5分台という好記録でそれを塗り替えた。
彼らが起爆剤となり、男子マラソンは東京オリンピックに向けてにわかに活気づいている。
やはりスター選手の存在は競技を盛り上げてくれる最も大きな要因なのだろう。
小説の世界とは言え、山城悟はまさにそれに比肩するスーパースターだ。
本書は、前作「ヒート」で彼が日本記録を塗り替えた場面からプロローグを迎える。
私を含めた著者のファンならば、この瞬間からその後の展開に胸が膨らんでしまうことだろう。
しかも強烈なプロ意識をもち、クールな山城の言動は、リアルタイムで注目されている大迫らを彷彿とさせ、ますます小説の世界に溶け込まされてしまう。
しかしそんな彼が本書では故障に苦しみ、引退の危機にさらされているという。
凡百の選手ならば、だましながら走ることはできる程度のケガなのかもしれない。しかしプライドの高い山城にとってはみっともない姿を晒してまで、走りたくないですから (P28)と淡々と語ってしまう。その姿は、彼の生き方を象徴しているようで、本書の中でも彼の個性を際立たせてくれる所以だ。
本書のタイトルを見たとき、また無理やり箱根駅伝をテーマにしたストーリーなのかと思ったが、山城さんが走るなら、助けたいって人はたくさんいるんです。「チーム山城」を作りたいんです。 (P144)と涙ながらに訴えるかつての学連選抜メンバーの言葉に、ようやくタイトルの意味が理解できた。
故障を抱え、所属企業の不況でチーム解散の危機にさらされながら、学生時代の仲間の力を借りて覚悟を決めていく姿は、マラソンが決して個人競技ではないことを教えてくれるようだ。
その一方で、思うように練習を消化できないストレスとプレッシャーから失踪してしまう行動は、まるで厳しい合宿から逃げ出してしまう高校生のようで、常にトップクラスの成績を求められるエリートアスリートの繊細な心をもきめ細かに描き出している。
孤高を貫き、周囲のアドバイスにも耳を傾けなかった山城はしかし、所属企業の名を掲げたチームとしては最後の実業団駅伝に挑み、そして逡巡する。
引退レースは駅伝ではなくマラソンで華を飾ってほしいと願う「チーム山城」に対し、本人は今の俺は・・・もう昔の走りができない (P467)と柄にもなく弱気な態度を見せる。
一方で当時の学連選抜でアンカーを務め、いまも「チーム山城」を支え続けている浦から俺は、お前がもう一度マラソンを走る姿を見たい。トップでゴールする場面じゃなくてもいいんだ。とにかく走り切ってくれればいい。どうしても駄目なら途中棄権でもいい (P472)と訴えられる姿は、競技という世界を超えて、誰しも周囲の支えがなければ生きていけないんだ、という人間として大切な何かを訴えてくれるようだ。
かつて走ることをここまでリアリティを持って描いた小説があっただろうか?
巻末の解説において運動が大嫌いと告白する麻木久仁子は本書について、物語に登場するランナーたちは、体の隅々まで酷使する。地をとらえる足裏の感触、振る腕の重さ、髪を揺らす風の圧を毛根で感じる。そうしたディテールをつぶさに描く堂場さんの筆力が、私の体感を刺激し、コントロールしてくるのである (P483)と絶賛している。
その他にも、ロードレースを中継するメディアの大仰すぎるコメントと選手との距離感、そして周囲の期待に比例するプレッシャーなど、陸上競技にまつわるディープな心理状況を、本書は見事に表現してくれている点で、本書と以下の関連作品は陸上競技(特に長距離種目)を愛する全てのファンに自信をもってお勧めしたい。
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