箱根駅伝で走る関東学連選抜チーム。予選会で敗れながらも、各校のエース級ランナーで構成された彼らの戦いは、チーム間の戦力が拮抗している近年の箱根駅伝において、決してあなどることのできない成績を収めている。 しかし、所詮は寄せ集めのチームで、ユニフォームもバラバラであれば、チームの歴史を物語る伝統もない。 彼らは一体、何のために走り、そして何のためにタスキをつなぐのか。本書のオビには、彼らの存在意義を問いかける挑戦的な疑問が掲げられているが、まさにそれこそが本書のテーマといえるだろう。
予選会で敗れ、目標を失いかけている選手を集めて構成された急造チームは、箱根駅伝に対する考え方や、練習に対する姿勢にも違いがあり、意志統一されないチグハグな様子が強調されている。 そんな継ぎはぎだらけのチームのキャプテンに指名されたのは、前年度の本戦において、アンカーで大ブレーキをしたために母校のシード権を失った過去を持つ、浦大地だった。 自らの失敗によって母校の歴史を途絶えさせたにも関わらず、責任を負うべきはずの自分だけが母校の代表として箱根を走る。浦はそんな後ろめたさを感じながらも、チームの掲げた大目標に向かってメンバーをまとめようと奮闘してゆく。 だが、選抜チームのエースと期待され、将来の日本のマラソン界をも背負っていくだろうと目されている山城悟だけは、決して心を開かずに、自分のペースを貫き続けている。 彼の言動は傲慢なようにも映るが、彼らのやりとりを見ていると、確かに、選抜チームの意義とは何なのだろうとふと考えさせられてしまう。
仲間のため? そうは言っても、2日間の箱根駅伝が終われば、すぐに解散してしまうチームだ。練習だって各大学に委ねられているし、お互いが他人行儀に接してしまうのも無理はない。 本書はそんな選手たちの微妙な心理状態を、登場人物を通してうまく表現していて、箱根駅伝を走るという誇らしさと、母校のタスキを繋げない悔しさとが入り混じっている彼らの気持ちが痛いほどに伝わってくる。 しかし、小説の舞台としては格好のテーマなのかもしれないが、タイトルが「チーム」と題されている割には、焦点が一部の選手に限られてしまっていて、読後の感想としては、はたして10名の選手が走る箱根駅伝を舞台にする必要があったのだろうかといぶかってしまう。 たとえば、選抜チームの合宿に招集されたのは16名にのぼるが、そのうち主要な登場人物は5〜6名のみだ。実際に駅伝を走った選手に絞っても、1区のランナーはノーコメント。2区のランナーには「すまん」の一言しか語らせていない徹底ぶりには拍子抜けしてしまう。 もちろん、そうだからこそ、浦や山城ら主要人物の個性が浮き出るのだろうが、メンバーの大半を脇役として埋没させてしまうぐらいであれば、全長200km超を10人でつなぐ長丁場の駅伝を舞台にする必要はなかったのではないだろうか。
また、終始かたくなに自らのポリシーを貫き通していた山城が、終盤であっさり態度を軟化させてしまうあたりも、ストーリーの流れからはとても不自然で、白々しく感じられてしまう。
これまで著者が記してきた「キング」や「神の領域」がすばらしい作品であり、本書を期待しながら手にしただけに、箱根駅伝という壮大な魅力をスポイルさせてしまっているようで残念だ。
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