コロナウィルス感染症に伴い、1年遅れで開催された昨年の東京オリンピックは、様々な課題を我々に突き付けてくれた。
無観客という異様な雰囲気だけではない。
大会ロゴの盗作疑惑、組織委員会による女性蔑視発言、開会式演出家による過去の人権侵害など、紳士的とは言い難い不祥事が数々噴出していた。
文化芸術面に目を移しても、メインスタジアム建て替えに伴うデザインコンペ白紙撤回や、大会公式記録映画を巡る放送倫理問題と、作品そのものへの評価など、これまた後味が悪い。
ついには、贈収賄事件でメディア関係者が続々と逮捕されるという有様だ。
もはや、オリンピックに利権が蠢くことに、我々は慣れ切っているのだろうか。
アスリートファーストを掲げているとはいえ、酷暑の夏に開催しなければならない理由は、スポンサーへの配慮だと言われているし、大会招致にかかるロビー活動費が、どこからいくら捻出されているのか不透明なことはもちろん、事前に公約した予算を大幅超過しても不問に付される。
これらオリンピックを巡る批判はかねてからあったものの、開幕までは、さまざまな問題点が議論されていたのに、すっかりなかったことになっている (P5)、と語らせるプロローグを読み、思わず相槌を打ってしまう。
では、真のアスリートファーストを実現するためには、どのようにすれば良いのだろうか?
本書では、オリンピックに対抗する新たな国際競技大会が誕生する、という噂の真相を追うスポーツ新聞記者を主人公に、オリンピックが抱える負の側面を明るみにしてくれる。
数々のオリンピックを取材してきた菅谷にとって、オリンピックこそスポーツの祭典であり、記者冥利に尽きるイベントだと信じていたが、取材を通じて突き付けられたのは、既存メディアに対する反発だ。
新たな国際競技大会「ザ・ゲーム」に関する情報は、公式サイトでの発表以外に、何も明かされず、いくら取材を重ねても証言が得られない。
開催日程はオリンピックと重なり、国別対抗ではなく個人の自費参加だと言い、しかもメディアの取材を制限し、無観客で行うというではないか。
IOCを敵に回すそんな常識外れの大会に、誰が出場するのか、と憤る既存メディアを尻目に、恐る恐ると出場表明者が現れてきた。
かつてマラソンで2時間4分台の日本記録を有し、年齢的にも最後のチャンスと再起を期す岡山元紀もまた、その一人だ。
出場を渋る岡山の背中を押したのは、なんとかつて日本マラソン界のエースと評されていた孤高の人物だった。
過去の著作からもつながりを持たせた本書は、UG(Ultimate Games)なる「ザ・ゲーム」の先例となる大会や、箱根駅伝学連選抜でのチームメンバーが「ちょい役」で登場するのが懐かしい。
彼らの登場はいささか無理やり感があるものの、既存メディアと、インターネットを中心とした次世代メディアの過渡期に生きる我々にとって、スポーツ観戦の新たな可能性を教えてくれるようだ。
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