「金メダル倍増計画」
「スポーツ省」が発足し、エリート選手の発掘と育成が急がれていたとはいえ、前回15に対して30もの金メダル獲得はさすがにハードルが高いのではないだろうか?
しかしスポーツ省のやり方は徹底している。
メンタルの弱さが欠点と見るやすぐに対策を練り上げ、豊富な資金力にものを言わせ即座に実行へ移す。
SAのSランクに昇格させたばかりの陸上長距離の仲島雄平もまた将来有望と目されており、メンタル面のアドバイザーとして、畑違いの柔道金メダリストの沢井弘人が指名された。
冒頭からワクワクするような波乱含みの展開だ。
ところで「SA」とはState Amateurの俗称を略したもので、正式にはスポーツ省特別強化選手。つまり国の予算で有望なアスリートを育成する国家プロジェクトのことだ。
とりわけSランクには血税を原資に破格の強化費が支払われ、衣食住や競技に必要なすべてが支給される一方で、個人のプライバシーは管理下に置かれ、一切の自由は奪われる。
目標は「オリンピック金メダル」の一点だ。
これはまるで社会主義国家のようだが、近未来の先進国をほうふつとさせるストーリーが本書の舞台だ。
たしかにSAは選手にとって競技に集中できる魅力的な制度だ。
だが、純粋に走ることが好きだった仲島の生活は、SAになった途端に一変してしまう。
専任コーチがつき、与えられる練習メニューに従うことが強制され、大学に進学したというのに箱根駅伝に走ることも許されないという。
それだけではない。
友人との気晴らしも必要だと思えば息のかかった友人を「派遣」し、国内にライバルがいないと悟るや同世代のライバルを「発掘」し、スポーツ省の思い描くストーリーに従って人為的に舞台が整えられ、選手が培養されていく。
当然ながら選手としては順調な成長を見せる一方で、日本記録を更新してもなお満足できない仲島は、次第に機械のように管理される生活が苦痛に感じるようになってしまう。
そんな折、オリンピックに対抗する新たな国際的競技会が発足するというニュースが流れてきた。
急成長中の米国IT企業が主催するUG(Ultimate Games)だ。
スポーツ省は断固として出場を認めないが、SAから反旗を翻して出場を公言するアスリートが出てきた。
「国を代表して大会に出る意味って、何なんですかね (P290)」
SAのひとりで、前回オリンピックのマラソンに出場した小畠が沢井に語る一言は非常に印象的で、思わずこの一行を何度も読み返してしまった。
たしかに考えてみると、チームスポーツであれば国を単位としてチームを組むことは理解できる。
だが陸上競技は基本的に個人戦であり、国籍を変更してオリンピックに出場する選手がいる現状を考えると、国の代表として競い、メダルの数を競い合っているオリンピックの意義はどこにあるのだろうかと考えさせられる。
また哲学的な内容にとどまらず、登場人物の個性が際立ち、リアリティに溢れ起伏あるストーリー展開も抜群で、本書はスポーツ小説の傑作と呼ぶにふさわしい。
強いて言えば、商業主義を排し、アマチュアリズムの追求を謳ったUGで多額の賞金が出る設定はいかがなものかとも思うのだが、これもまた「アマチュアリズム」の本質について読者に問題提起しているのだろうか?
だとすれば私は著者の術中にまんまとはまってしまった。
なぜなら、普段であればあっという間に「完走」できるクオリティなのだが、何度も自問自答してしまい、ブレーキをかけられてしまったのだから。
「やられた」。小説を読み終えた後にそう思わされたのは、久しぶりの経験だ。
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