ふらりと立ち寄った図書館で、衝撃的なタイトルに目が奪われてしまった。
サラリーマン生活も20年目に入ろうとしており、こんな私にも後輩が生まれている。
もちろん仕事のやり方は、いわゆる「体育会系」であり、ピラミッド組織の中間に位置する私の立場は、兎にも角にも胃が痛い。
しかし、本書はそんな中間管理職の悲哀を嘆く内容ではない。
むしろ、そんな体育会系上司のもとで働く若者たちにエールを送り、旧態依然とした日本的組織を、一歩引いた視点でロジカルに分析してくれる。
ここ数年、いわゆる体育会的な組織構造がワイドショーをにぎわしてきた。
2018年5月には、日大アメフト部による悪質タックル問題が事件となり、その後も監督やコーチ陣による組織的な指示があったか否かが話題となり、彼らの体育会系らしからぬ煮えきらない問答が社会問題ともなった。
著者は、当該選手の置かれた立場に同情を寄せつつ、細かな経緯には不明の点もあるものの、一連のやりとりをみると、この事件の背景には、体育会系の組織にありがちな上からの指示には絶対服従といった空気が強く絡んでいたことは明らかであろう (P51)と、推測する。
それだけではない。
わずか2か月後の2018年7月には、日本ボクシング連盟・山根明氏を巡る数々の疑惑が報じられはじめた。
いわく、奈良県連出身の同氏に配慮した「奈良判定」が存在するとか、公式グローブの不透明な価格設定や資金の流れなど、にわかに信じられないアンダーグラウンドな世界が浮上した。
その後も、リオ五輪女子体操代表の宮川紗江選手の記者会見に端を発した、日本体操協会のパワハラ疑惑など、これまでクリーンなイメージと思われたアマチュアスポーツ界の知られざる内幕が続々と暴露されたことは、記憶に新しい。
これらに共通するのは、上位者からはっきりと明言されてはいないものの、なんとなく「ここで逆らったらこの世界では生きていけないのではないか」、と感じさせる圧倒的な圧力であり、著者はこのような思考回路に関して、戦争のような重大局面においても、空気の圧力に屈して、だれもが言うべきことを言えずに、おかしな結論に至ってしまうことがあるくらい、空気の圧力は強烈なのである (P172)と痛烈に批判している。
著者はこれら同調圧力に屈してしまう独特の文化を、「間柄の文化」と呼び、欧米にみられる「自己中心の文化」と対比させ、積極的な自己主張を良しとせず、「空気を読む」ことや、「忖度する」ことで相手を慮ってきたことこそ、日本人の特徴であると指摘する。
そして、このような観点からすれば、体育会系であるかどうかにかかわらず、日本社会で生きていく限り、自己中心になりすぎるのは好ましくないことがわかるだろう。ある程度は周囲の人たちの気持ちや立場に配慮した言動を心がける必要がある (P190)と、日系企業で働くサラリーマンに対する処方箋を提示している。
たしかにこれまでは、いわゆる体育会系人材に対して、マナーが優れている点や、上司の指示を素直に受け入れる点などが、ビジネスにおいて優位に受け取られ、それこそが日本経済発展の源泉であるとも考えられてきたが、複雑化する社会において、権力主義的 で単純な認知行動 (P193)では国際社会と伍していくことはできないだろう、と指摘する著者の提言に、思わずうなずかされる。
そうさ、いつか俺も半沢直樹みたいに、上司にガツンと言ってやるぜ!
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