著者 |
重松清 |
出版社 |
集英社新書 |
出版年月 |
2004年11月 |
価格 |
\700(税別) |
入手場所 |
平安堂書店 |
書評掲載 |
2005年4月 |
評 |
★★★★☆ |
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『昨日は阪神が巨人に勝った』 たったひとつの動かさざる結果に対して、「デイリースポーツ」は「タイガース勝利の物語」を伝え、「スポーツ報知」は「ジャイアンツ敗戦の物語」を紡ぎだす。 著者がまえがきで『俺たちは試合の「結果」だけを知りたいわけじゃない 』『スポーツ・ジャーナリズムが消滅し、「結果」が知らされるだけになったら、人生の大きな楽しみを喪ってしまう 』と語る数行を読むだけで、のっけから共感を覚えてワクワクしてしまう。
本書はスポーツに関するノンフィクション作品を手がける作家、いわゆる「スポーツライター」に焦点を当て、古今東西の著名なスポーツライターとその作品を紹介しながら、それぞれの個性溢れる文体や作風を探っている短編集。 「Number創刊号(1980年4月)」に掲載され、鮮烈なデビューを飾った山際淳司氏による「江夏の21球」から始まり、沢木耕太郎、佐瀬稔、二宮清純、増島みどりら40人近くものライターを紹介していて、通読すると、まるで歴史の授業で習った○○時代や××派といったように、スポーツライティングの歴史の流れを垣間見ることができるようだ。
彼らはどのようにして「スポーツ」あるいは「選手」という対象を文章によって読者に伝えようとしているのだろう。ひとつの事象に対して、ことさら大仰に表現する者もいれば、事実を淡々とドキュメント形式で伝える者、またスポーツを政治的に分析しながら批評する者など、同じテーマであってもそれぞれに切り口が違うからこそ、ライターによって全く違った印象を与える作品に仕上がり、そしてまたスポーツライティングの世界とはかくも広いものだということを教えてくれる。 なかには、当サイトで取り上げている作品もいくつかあり、なるほどこのような書き方をする裏にはこんな理由があったのかと、これまで読んできた作品の奥深さを教えてもらったような気がする。 快活な文章でコンパクトにまとめられていて、本書に登場する作品を一度は読んでみたい、という気にさせてくれること請け合いです。
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