陸上競技の国際大会において、マラソンこそ別格の注目度を集めていることを除けば、ここ数年は入賞が期待される種目として投てき種目が挙げられることが少なくない。
ハンマー投げの室伏広治や、やり投げの村上幸史らの活躍が大きいが、彼らが活躍する以前に、やり投げで世界記録に迫る大記録で世界を驚かせた日本人アスリートがいたことを、どれだけの人が覚えているだろう。
それは1989年5月27日に米国サンノゼで行われた国際グランプリシリーズの開幕戦での大記録だった。
公式記録は87m60cmと、当時の世界記録にあと6cmと迫る歴代2位の記録だったが、本書によると速報記録は87m68cmと世界記録を上回っていたという。
世界新記録ということで再計測が行われた結果、ビニール製の安価なメジャーを思い切り引っ張っての計測 (P70)により、8cmも記録が縮められてしまったというから、地団太を踏みたくなってしまう。
溝口和洋がどのような人物だったのか、私は本書を読むまでほとんど知らなかった。
手元にあった陸上競技の専門誌で古いものから読み返していったら、ようやく1995年5月3日の第11回静岡国際で「溝口が復活、5年ぶりの80mスロー!!」のコピーとともに紙面一杯に映る溝口の姿を認めることができ、かすかな記憶が蘇ってきた程度だ(出典:陸上競技マガジン
1995年6月号)。
既に競技の第一線を退いてはいるものの、本書ではマスコミ嫌い (P61)で知られていた本人が語る貴重な話題に満ちていて、常軌を逸した猛練習や独自の投てき理論、そして一般には理解しがたい異形の競技哲学を教えてくれる傑作だ。
「溝口伝説」
陸上界では彼にまつわる数々の逸話を称してこう呼んでいたという。しかし本書を読んでいると、その言葉は決して妄言には聞こえない。
「リラックスなんかせえへん」、「末端が最も重要」と、一般的なトレーニング理論を真っ向から否定し、猫背でガニ股気味に助走する姿は「真似することが不可能」、「身体が潰れる」、「まるでロボット」と言われるほど独創的なものだったという(P49、50)。
練習の中心はウェイトトレーニングで、それも限界まで酷使する苛烈なものだった。
「疲労? だいたい疲労ってなんやねん。そんなもん根性で克服できる。死ぬ気でやったら人間、不可能はない (P51)」と、スポーツ科学の専門家が聞いたら腰を抜かしてしまいそうな一言には、ただただ驚嘆してしまう。
また、これだけの世界的アスリートなのだから引退後も指導者として引く手あまたと思いきや、全く畑違いの「パチプロ」へ転身という破天荒な生き方には、もはや呆気にとられてしまう。
そんな豪放磊落に見える一方で、実はとても繊細でシャイな一面が垣間見える部分からは、著者に対して溝口が心を開いていた証といえ、これまで謎に包まれていた「溝口伝説」を明らかにした貴重な一冊だ。
だが残念なのは、本章が抜群に面白かったのに対し、一貫したテーマで統一された他章と比較すると、唯一浮いた存在になってしまっていることだ。
溝口だけで一冊書いてくれれば、より完成度の高い書籍になったのではないかと思うが、本書での位置づけは、まるで他の競技関係者から苦々しく思われ、旧態依然とした組織にとって異端児だった彼が置かれていた立場を象徴しているかのようだ。
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