陸上長距離競技を通じて同世代のライバルと切磋琢磨し、食事を通じて様々な感情を表現するユニークな小説シリーズが、第三作目を迎えた。
高校駅伝を舞台にした第一作目、そして彼らが箱根駅伝で相まみえる第二作目に続き、今回の舞台は、実業団に進み、ニューイヤー駅伝や世界選手権、オリンピックへと活躍の場を移してくれた。
それも、架空の大会ではなく、コロナ禍で開催された2021年東京オリンピックをテーマに据え、開催に対して懐疑的な世論も小説に溶け込ませた、非常にリアリティ溢れる作品だ。
高校時代に料理研究部で活動していた井坂都は、大学を卒業し、老舗の和食料理店に勤めていたが、コロナ禍での営業時間短縮と来店客の減少に耐え切れず、オーナーが閉店を決断した。
そんな都にとっては、オリンピック開催に関して苦々しい感情を抱いていたが、ふと求人活動中に、食堂スタッフ急募の広告が目に入ってしまう。
そこはよりによって、あの忌々しいオリンピックの選手村だ。
日本国内は厳しい行動制限により、飲食店は閑散としているのに対し、世界中から集まった関係者で賑わう食堂は対照的だ。
本書を読んで思い出すのは、映画「東京2020オリンピック」が描いていた姿だ。
それは、コロナ禍という特別な環境下で開催された社会状況をテーマとし、その混乱ぶりを滑稽に、そして皮肉たっぷりに描いていた。
だがこの映画、とりわけ後編の「Side:B」は、一貫して「この大会は開催すべきではなかった」という閉塞した印象を与えるだけでなく、演出方法が特異な点が気になった。
おそらく、生の映像自体は優れていたのだろう。
たとえば、多くの要人とインタビューを重ね、そこから本音を引き出すことに成功している点は大変貴重なのだが、一部のシーンのみをつまみ食いし、かつそれらを数秒単位で次々と登場させ、ぶつ切りに繋ぐ見せ方は不快で、彼らが本当は何を語りたかったのかについて、視聴者に味わう余韻を与えず、消化しきれないスピードで、次のメニューが提供されていく。
いわば、優れた素材であっても、それを生かすも殺すも調理人次第、であることを痛感させられてしまうのだ。
そんな後味の悪さが残る映画に対し、本書は爽やかで清々しい読後感に包まれる。
本書の登場人物・都もまた、この苦しいコロナ禍でオリンピックを開催しようとする関係者に対し、唾を吐きつけたい気持ち (P40)すら抱いていたのだが、選手村の食堂で奮闘し、「美味しい」の声がSNSをバズらせる。
とても、おかしい。オリンピックなんて忌々しくて大嫌いなはずだったのに。
私が作ったものを美味しく食べてくれた人達が、どうか、楽しく、充実した、人生の思い出として残るような時間を、過ごせますように (P114)と祈っている心情に驚き、調理人という脇役であるはずの自分に、閉塞した世界を変える大きな力があることに気づいていく。
もちろん活躍するのは都だけではなく、過去の登場人物がなんとオリンピック本番のマラソンを走り、オレゴンでの世界選手権でもウナギ上りの大活躍(これも食事の力が大きい点がポイント!)だ。
過去のシリーズを読んでいないと、登場人物の関係が分かりにくい点があるものの、ここ数年の社会情勢を上手に小説の世界に溶け込ませていて、共感できる点が多い。
ちなみに、書籍の価格もウナギ上りで、特に本書は過去のシリーズに比べてページ数も減っている。
これも物価高騰や、ステルス値上げといった時世の流れを読者に感じ取ってほしい、といった痛切な願いなのだろうか。
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