文春らしからぬポップなデザインのカバーに掲げられた、ストレートかつセンスあるタイトル。
そして、かつて駅伝や長距離走競技を舞台にしたベストセラーを上梓してきた執筆陣の名を見るだけで、思わず高揚を抑えきれなくなってしまう。
本書は、2008年〜2010年にスポーツ用品メーカー・アシックスの公式Webサイトに連載された「マラソン三都物語〜42.195km先の私に会いに行く〜」の書籍版で、著名作家3名による、国際的な大規模市民マラソンをテーマにした、心温まる短編集だ。
もちろんそれぞれの作品の中では、さりげなくスポンサーをアピールすることも忘れていないのだが、ニューヨーク・東京・パリの三大都市マラソンを舞台にした三者三様のストーリーは、心に響くものばかりで、ランニング愛好家ならば、必ずや何度も共感できる場面に出会うことだろう。
なかでも、ニューヨーク・シティ・マラソンを舞台にした、三浦しをんの「純白のライン」では、学生時代に人生のすべてを賭けて陸上競技に取り組んだが、芽が出ることなく卒業し、その熱意を仕事に生かそうと、がむしゃらに働く中年サラリーマンの心の葛藤を描いた秀逸な作品だ。
特に、以下に続く数ページは、私を含む多くの競技経験者が、共感を禁じえない部分ではないだろうか。 主人公の安部広和にとって、「走ることはあくまで競技だった。身体を絞り、ときとして故障も辞さずに過酷なトレーニングを自身に課した。(中略)なにかに真剣に打ち込めば打ち込むほど、ひとは一人になっていくのだと広和は知った。充実してはいたが、心身がすり減る毎日でもあった (P35)」と回想する一方で、隣で走りながら、自分を兄のように慕っている女性(このあたりの微妙な男女関係にも面白みがある)は笑いながら、「交通規制が解かれても、何十時間かかっても。この大会はね、走りたいひとは、いつまでかかっても走りきっていいことになってるんだよ。やめろなんて、だれも言わない。フィニッシュ地点で、計測チップを感知する機械は、いつまでも動きつづけている。最後のランナーが走り終わるのを、ずっとずっと待ってる (P56)」などと交わされるやりとりを見ていると、フッと肩の重荷が外される気がすると同時に、果たしてスポーツの本質とは一体どこにあるのだろうかと、考えさせられてしまう。
他の2章でも、マラソンを舞台にした人生模様が描かれていて、とても胸が熱くなるドラマだった。
ところで、これら市民マラソンが人気を集めると言っても、たかが庶民の娯楽に過ぎないわけで、一部のプロアスリートのように、記録や順位に拘泥する必要はないはずだ。
にも関わらず、なぜフルマラソンを走るというだけで、名もなき庶民をドラマの主人公に仕立てあげることができるのだろう?
例えるならば、同じ大衆スポーツといえども、ゴルフやテニスではこれほど人生が凝縮された作品は描けない気がする。
そんな意味では、マラソンという競技のすそ野の広さと、魅力の深遠さに改めて気づかされた想いがする。
※ 世界の大都市マラソンの概要は「地球の走り方(ダイヤモンド・ビッグ社刊)」が参考になります。
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