TOKYOオリンピック物語 |
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表紙を彩る「1964 TOKYO」の文字。1964年は言わずと知れた東京オリンピックが開催された年だ。 この国家的イベントに合わせ、日本で初めてとなる高速道路とモノレールが整備され、東海道新幹線が営業を開始した。 戦後復興を象徴するようなインフラ整備が急速に進むなかで、日本及び首都東京の姿は急速に変貌していく。 だが、変貌を遂げたのはインフラだけではない。 「 日本人は時間を守るとか団体行動に向いているというのは嘘だ。どちらも東京オリンピック以降に確立したものだ。みんな、そのことを忘れている。(P3)」 上述の公式ポスターを制作した亀倉雄策がこう語っているように、日本人の文化や考え方をも変える契機になったイベントでもあった。 本書で取り上げた人物たちは、大会で活躍した選手や、インフラ整備に関連した人々ではない。 これまで取り上げられることの少なかった、大会を裏で支えた人々であり、彼らこそ旧来の日本社会の変革を進め、大会を成功に導いた。著者は、現代日本がどこか活力を欠いている要因が、彼らのなかに見つけることができるとまで語っている。 著者は活力ある人の共通点として、挑戦が好きで、好奇心が旺盛であることを挙げている。 そのような観点で読んでいくと、本書に登場する人々は、現代日本にとって模範となる姿にあふれている。 本書は全7章から構成されていて、それぞれの章において異なる分野の人々を扱っているのだが、共通するのは、日本のため、東京オリンピックのため、そして自らの職業を世に知らしめたいという、名誉と誇りを胸に抱いていたという点だ。 まだコンピューターが計算機の域を脱しない時代にあって、データベースとオンラインのリアルタイム速報を実現した、IBMのエンジニアたち。 言語に頼らない案内表示を考案し、ピクトグラムと呼ばれる絵文字や、大会公式シンボルマークを開発したグラフィックデザイナーたち。 いまでこそ当たり前に用いられているが、これらは東京オリンピックが世界に先駆けて導入した新技術だったという。 また、日本の料理人として初めてチームで分担調理を行い、大量の料理を短時間で提供することに成功した、帝国ホテルシェフの村上信夫。 日本初の民間警備会社として東京オリンピックの警備を請け負った、現セコムの飯田亮ら、この大会を契機にした「世界初」、「日本初」を挙げていくと枚挙にいとまがない。 そのなかでも本書で紙幅を多く占めているのは、市川崑総監督による記録映画「東京オリンピック」に関する第五章だ。 後に有力政治家から「芸術的すぎる」と批判されたほど、ストーリー性にこだわるあまり、撮り直しも辞さなかった映画はしかし、大盛況を収め、今に至っても、ベルリンオリンピックの記録映画と並んで傑作と評価されている。 周囲の反対も押し切り、前人未到の困難に果敢に挑んだ彼らの挑戦は、私たちが忘れかけているチャレンジ精神を呼び起こしてくれるようだ。 一方で、執筆に15年もかけたそうなので、せっかくだから、もうすこし写真を豊富に掲載してほしかったとも思うが、むしろ想像力を働かせて当時を思い浮かべることは、情報過多の現代社会においては、至極贅沢な時間の使い方なのかもしれない。 ※ 参考書籍:ベルリンオリンピック記録映画を扱った「オリンピア ナチスの森で(著者:沢木耕太郎)」 |