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ランニング王国を生きる
文化人類学者がエチオピアで走りながら考えたこと

ランニング王国を生きる
著者
訳者 児島修
出版社 青土社
出版年月 2021年8月
価格 2,200円
入手場所 楽天ブックス
書評掲載 2021年8月
★★★★☆

 「マラソン大国」はどこか、という問いに対して、多くの陸上競技ファンであれば、いまやエチオピアやケニアを挙げる者が大半だろう。
 それほど、近年は両国にルーツを持つ選手のパフォーマンスが群を抜いている。
 たとえば、手元にある昨年(2020年)の記録年鑑を概観してみても、男子マラソン20傑では、エチオピアから9選手、ケニアから8選手と圧倒的な占有率を誇っている(月刊陸上競技 2021年4月号別冊より)。
 彼らの強さの要因については、遺伝的に長距離走に適した進化をしたのだから、かなうはずがない、と一般的には考えられがちだ。
 だがその一方で、運動能力には遺伝的要素があるという前提の論文を多数執筆しているヤニス・ピツラディスをして、未だに何の証拠も見つかっていないことを認めている(P23)という。

 本書は、マラソン2時間20分台で走るイギリスの人類学者が、1年3ヵ月に渡りエチオピアでアスリートと寝食を共にしてきたフィールドワークの様子が綴られていて、先進国とは異なる文化的背景を丁寧に紹介しながら、マラソン大国で生きるアスリートの心情に迫る貴重なルポだ。
 そういえば、我々は日本国内で報道されるマラソンや駅伝大会に登場する留学生ランナーに対して、「(アフリカ出身なのだから・・・)」と(なかば諦観を抱きつつ)一括りにしてしまいがちだ。
 だが、彼らは民族も違えば、話す言語も違う。さまざまな信仰の違いも、ランニングへの取り組み方に影響を与えている(P24)一方で、著者によると「彼ら」を調査した海外ジャーナリストによる文献の多くは、比較的英語が通じ、快適な宿泊施設に恵まれたケニアに偏っていると指摘し、ケニア以外の視点でこの地域のランニングについて調べてみたかったと、エチオピアに興味を惹かれた理由を語っている。

 そこで著者が見た彼らの練習風景は、これまで著者が抱いていたイメージとは大いに乖離していた。
 遠くの学校へ通うために毎日走っていたら、いつの間にかトップアスリートになっていた、という先進国が抱きがちな姿は見えず、むしろ欧米よりもよほど体系的なトレーニングを行っているではないか。
 たとえば、エチオピア各地には陸上クラブが点在していて、その運営基盤も確立している。
 レベルの高いクラブであれば、軍や銀行など国家と関係する団体から資金が捻出され、選手に給料も支給されるという。
 その点においては、日本の実業団に似た優れたシステムだが、優勝劣敗の生存競争は比べ物にならない。
 同国では、マラソンで成功すれば億万長者になれるという夢に挑戦する若者が、首都アディスアベバだけでも5,000人は下らないそうだが、成功する者はごくわずかだ。
 それでも、「ランナーとして大成しなくても農家としてやり直せるのだから、失うものはないのではないか?」と尋ねる著者に対して、アディスアベバ大学で教鞭をとるブノワ・ゴーディン博士はその質問を一蹴し、25歳の負け犬が、どうやって妻を見つけるんだ?(中略)失敗すれば失うものはとてつもなく大きい(P41)と競争のし烈さを教えてくれる。

 我々のイメージと反する事実はそれだけではない。
 とりわけ本書が伝えてくれるのが、人類学者の視点ならではのエチオピアの文化だ。
 彼らは遺伝や才能なぞは一顧だにせず、練習をすれば誰もが神に与えられた能力を発揮できる(P313)と信じている。
 また、エチオピアの練習は必ず集団行動であり(同国では一人で行動することは反社会的で怪しい行為だとみなされているそうだ)、エネルギーは人から人へと伝わるものであり、誰かと分かち合うものであり、ときには盗まれることさえもある(P204)という。
 いわば呪術的とも呼べるこれらの文化は、科学を絶対とする先進国の価値観からは奇異に映るのだが、だからこそ、この神秘的な文化的背景をベースに、歴史的なアスリートを次々と輩出する民族をもっと知りたくなってしまう。
 そんな意味では、本書はランニングという共通言語を媒介に「マラソン大国」の知られざる生き方を教えてくれ、知的好奇心を満たしてくれるこの上ない良書だ。
 残念な点は、誤植が目立った点と、参考文献一覧をつけてもらいたかった点だ。巻末の索引は有用な一方で、書籍の完成度としてはもったいない。

参考書籍:ケニア! 彼らはなぜ速いのか

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