ケニア! 彼らはなぜ速いのか |
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陸上競技の長距離種目やマラソンの国際大会で圧倒的な存在感を見せつけてくれるアフリカ勢。とりわけ、ケニアの強さは、同じ東部に位置するエチオピアと並んで、他を圧倒している。 日本でも一部の高校、大学や実業団チームに在籍している彼らは、大規模な駅伝では出場制限や区間制限が実施されるほどの脅威となっている。 彼らは別格だ。なぜなら、彼らの強さは「遺伝」なのだから。 本書を読むまでは、私もそう信じて疑わなかったのだが、本書によると、実は科学的にはいまだに遺伝的な特殊性は見つかっておらず、ある研究者は真っ向から「遺伝説」を否定するなど、その論争に結論はついていないのだという。 その一方で、現実には近年の国際大会の中長距離種目でのメダルは、大半がケニア人選手が獲得している。しかもその多くが一部族である「カレンジン族」によるものだという。 ちなみに、私たちは、「ケニア人」とひとくくりに捉えがちだが、ケニアにも色々な部族があるそうで、日本に選手として留学しているケニア人の多くは「キクユ族」だとのこと。その理由として、部族の論理や代理人の問題が隠れているということらしいが、そのあたりの話題も非常に興味深い(P208〜209)。 著者は、ケニア人、とりわけカレンジン族が突出して強いという謎に魅せられて、様々な研究者から話を聞き、彼らの強さの秘密に迫っていくのだが、その行動力たるや、イギリスのグラスゴー、ロンドンや、デンマークで研究者らに取材を行い、実際にケニアへも行ってしまう。 著者が新聞記者で、取材結果が夕刊に掲載されたというから、経費は会社持ちなのかもしれないが、それにしても好奇心旺盛な取材だ。最新の学説もふんだんに紹介されていて、スポーツ科学の専門誌に掲載されてもおかしくないくらいの内容で、単行本にとどめておくのはもったいないように感じてしまう。 残念なのはせっかくの単行本なのだから、写真をもっと掲載してほしかった。異国の地の話なので、文章だけで情景を思い浮かべることは困難だ。 肝心の「彼らの強さの秘密」については、冒頭の「遺伝説」のほかに、食生活、通学距離、エネルギー代謝や、民族の歴史、人間性、社会性などなど、あらゆる角度からの研究を紹介しながら、自らもそれらの学説を検証しようとしていて好感が持てる。 研究者の多くは、自らの学説を疑いもせず、マスコミに自説をアピールしようとしている。研究にはそれなりにお金がかかるらしく、研究者も自説を売り込むべく必死なのだろう。 だが、我々はマスコミを介されて紹介されたひとつの学説だけを当然のように思いこみ、誰もそれらを検証しようとしていなかったのではないだろうか。 ケニアの強さの秘密にあこがれて、ヨーロッパからもキャンプと呼ばれるチーム練習に参加する選手が何人もいるらしいが、過酷な生活に音を上げてしまうらしい。日本からも、佐藤秀和(仙台育英高−順大−トヨタ紡織)が1ヵ月滞在した感想が掲載されていて、これまた興味深い(P213)。 彼らはケニア人だから強い。遺伝的な素質にはかなわない。 「常識」と思われていたことも、実はそう思い込まされているだけなのではないだろうか。本書を読み終えて、そんな思いに駆られてしまう。 なお、これは余談だが、文春と朝日は仲が悪いというのが巷間の「常識」だったように思うのだが、朝日新聞の現役記者が文藝春秋から単行本を刊行したことも小さな驚きだ。これも「常識を疑え」ということを伝えたいがための行為なのだろうか? ※ 第19回(2008年度)ミズノスポーツライター賞 最優秀賞受賞作品 |