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        新型コロナウイルスが世界中で猛威をふるっている。 
         毎年、桜の咲く季節には、新生活に胸を躍らせる若人が多いはずだが、今年に限っては入学式や入社式もままならず、とりわけ新大学生にとっては、初めての講義が「オンライン」という事態も珍しくない。 
         だが見方を変えれば、一方的な講義を聴くだけではなく、自発的に興味ある分野を学ぶチャンスでもあり、決して悲観的になる必要はない。 
         たとえば、スポーツやマスメディアに興味がある学生であれば、本書はいかがだろうか? 
         本書は箱根駅伝をテーマに、歴史的、文化的、祭事的、心理的な背景から、そしてビジネスとしての大学経営や、スポーツ経営学の観点から、幅広く有識者の考えをまとめていて、まるで大学の講義を受けているかのような、深い知見に満ちている。 
       まずは歴史と文化の講義からスタートだ。 
         1920年に始まったこの大会は、今年で100年目の節目を迎えたほど、国民に愛されてきた。 
         レースは、当時から沿道での応援やラジオ放送を通じて人気が高かったというが、それに拍車がかかったのが、日本テレビによる完全生中継だ。 
         NHKすら尻込みしたこの壮大な挑戦に臨んだ過程は、「箱根駅伝」不可能に挑んだ男たち  に詳しいが、杉山茂(元NHKスポーツ報道センター長)は、学生スポーツらしいひたむきさが、終始、視聴者を熱くさせる。これほど長時間"純な姿"を送り続けるテレビ番組も稀である (P22)と、メディアにとっても箱根駅伝がいかに特異な存在であるかを、マスコミの立場から分析してくれる。 
       一方で、テレビ中継によって加熱する人気に対しては、異論も少なくない。 
         滝口隆司(毎日新聞社)は「箱根駅伝がもたらした陸上競技のアンバランス」というタイトルで、箱根が最終目標となってしまい、大学卒業後はランナーとしての成長が止まってしまったり、陸上競技から引退したりするケースも多い。(中略)箱根駅伝は「目的」か、それとも「手段」か。 (P51)と読者に対し挑戦的な問いを投げかけ、将来の陸上競技はどうあるべきかという、グランドデザインが求められていると記している。 
         おそらくはその試みの一つとして、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)が企画され、駅伝人気をマラソンへ持続させる一定の成果は出ているだろうが、国際的に通用するマラソンランナーの育成を目的に創設されたはずの箱根駅伝は、いまだその目的を果たせずにいる。 
       箱根駅伝偏重の弊害はそれだけではない。 
         けた外れの走力を誇る外国人留学生2名を擁し、創部わずか6年目の山梨学院大学が果たした偉業に続こうと、志望者減少に悩む新興大学が、続々と箱根駅伝出場を目指している。 
         その広告効果を分析した最終章「箱根駅伝が変えた正月スポーツと大学プロモーション−箱根駅伝新勢力図と強化実態を探る−」で上柿和生(スポーツデザイン研究所代表)は、エビデンスを交えて説得力ある解説を行っている。 
         2007年に順天堂大学の山田満教授らによって行われた研究によると、当時箱根で優勝した同校の広告効果は、なんと58億円超にのぼったという。 
         抜群の「投資効果」は、異常ともいえる選手勧誘につながっており、学費免除はもちろん、生活費や遠征費の補助など、学生スポーツの本質から逸脱していないかと、上柿は警鐘を鳴らしている。 
         たしかに、箱根駅伝はエンターテインメントとしては抜群に魅力あるコンテンツに違いない。 
         だが、本当にそれでよいのだろうか、と真剣に考えさせてくれる作品で、知的好奇心を大いに刺激してくれる一冊だ。 
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