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「箱根駅伝」不可能に挑んだ男たち

不可能に挑んだ男たち
著者 原島由美子
出版社 ヴィレッジブックス
出版年月 2007年12月
価格 \1,500
入手場所 市立図書館
書評掲載 2008年12月
★★★★★
 まるで、本書のブックカバーを見ているだけで、テレビから流れてくる、あの伸びやかなオープニングソングが聞こえてくるような気がする。
 あの曲が「喜びの飛行(Happy Flight)」なる楽曲であることを、私は本書を読んで初めて知った。
 私はてっきり「箱根駅伝のテーマソング」だと思っていたが、オリジナルは映画「ネバーエンディング・ストーリー」での挿入曲だそうだ。しかし、おそらく日本人の多くがあのテーマソングを聞くと、竜のファルコンは知らなくとも、学生ランナーが苦しげな様子でタスキをつなぐ感動的シーンを想起し、実家でのんびり過ごすお正月を思い出すのではないだろうか。
 それほどまでに、「日本テレビの箱根駅伝」は、お正月の定番として日本人に定着していることに、もはや疑いはないだろう。
 だが、そこまでの定番番組に至るまでの過程は困難の連続で、技術的にクリアしなければならない課題が山積していた。
 本書は、そんな「不可能」に挑んだスタッフたちの、長きにわたる挑戦を描いたノンフィクション。

 風光明媚な湘南から箱根を駆け抜け、全長200kmを2日間かけてタスキをつなぐという、他に類を見ない規模の大きさや人気の高さなどから、「箱根駅伝はテレビ局最後の"目玉商品"(P276)」と言われるほど垂涎のコンテンツだったが、技術的には、曲がりくねった山道が続く箱根の山で電波を中継することは、絶対に無理だと思われていた。
 技術力だけでなく資金力でも民放を上回っていたNHKですら、興味を示しながらも手を出せなかったというほどだから、それはまさに未知の世界への挑戦だったのだろう。
 そんな「不可能」に果敢に挑んだのは、日本テレビ入社後に箱根駅伝の取材を通じて同大会に魅せられて以来、20年以上も構想を温めていたディレクター・坂田信久だった。

 日本テレビは、設立当時からプロ野球やプロレスをテレビ放送し、「スポーツの日テレ」というイメージを築き上げることに成功していたがが、マラソン中継では他社の後塵を拝し、技術的にも経験的にもロードレース中継のノウハウは未熟だったという。
 しかも、彼らが挑む世界は、フルマラソンの5倍もの距離を走り、壁のように高くそびえる箱根という山岳ロードが舞台だ。
 箱根駅伝の壮大な魅力を、多くの視聴者に伝えたいと会社の幹部へ訴える坂田は、技術陣の猛反対に遭いながらも、地道に陸連や元選手らの秘話や感動的なエピソードを聞き取り、ついには社長に直談判までしてしまう。
 電波をどうやってつないでいくか、繰り上げスタートの複雑さをどのように伝えていくか、そして、これだけの長い歴史と壮大なロマンにあふれる駅伝をどのようなスタンスで報道していけばよいのか。スタッフが連日泊まり込みで議論を重ね、コースを歩き重ねていくひたむきな様子は、かつてNHKのプロジェクトXで描かれたような姿にも似ている。

 そして迎えた運命の日。1987年(昭和62年)1月2日・3日に行われた、第63回大会では、2日目の復路で天候不良によりヘリコプターが飛行できないというトラブルがあったものの、平均視聴率は18%前後と予想を上回る大成功に終わった。
 それは同業他社にとっても、高視聴率をマークしたことだけでなく、「不可能」と言われてきた山岳レースを生中継したことが大きな驚きだった。たとえば、長らくラジオ中継で同大会を制作していた、杉山茂(元NHKスポーツ報道センター長)は、本書の中で「あの中継は、20世紀のテレビスポーツ中継で、トップ3に入ると言っていいと思う。競技をそのまま十分見せつつ、ドキュメンタリーと組み合わせた構成も見事でした」「中継スタッフとして、個人的に加わらせてもらえないか、とさえ思った(P282)」と、その成功を絶賛している。

 その一方で、「テレビが箱根駅伝を変えてはいけない」と掲げてきた理念が、テレビ放送に伴って人気が過熱し、同大会の名物であった伴走車が廃止されるなど、人気番組に育ったゆえの負の部分も浮かんできている。本書はそのあたりの、ちょっと触れられたくない話題にスポットを当てている点にも好感がもて、箱根駅伝の本質に迫る秀逸なノンフィクションに仕上げられている。

 選手やコーチだけでなく、テレビ局のスタッフらにとっても一大イベントとなった箱根駅伝。来年のテレビ放送では、これまで以上に食い入るように見てしまいそうです。

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