ここ数年、NHK BSで放送されているグレートレースを見ていると、メキシコで250kmだの、カナダ北極圏で567kmだの、世界の超長距離レースの壮大なスケールに驚かされる。
だが、この挑戦は規格外だ。
アメリカ東部にそびえるアパラチア山脈に沿い、北部メイン州から、南部ジョージア州に至るトレイルコースは、なんと3,500km。
訳者あとがきによると、北海道稚内から沖縄那覇までが3,400kmというから、それより長い距離を一気通貫に踏破する挑戦に、あのスコット・ジュレクが挑んだという。
誰かと競うレースではなく、GPSをつけながらFKT(Fastest Known Time=最速踏破記録・当時約46日間と11時間)を目指すという、記録との戦いだ。
そのきっかけは些細なものだった。
著者は数多くのウルトラマラソンで栄冠に輝き、その世界で第一人者と称されるようになったが、不惑を迎え、妻からのあなたはいまどこにいて、これからどこに行きたいの? (P18)という質問に対し、僕は猛烈に腹を立てていた。彼女に図星を指されたからだ (P19)と、自問自答する。
僕はこれまでとはまったく違うタイプの挑戦をしたかった (P21)。なぜなら、僕が40歳で、限界まで自分を追い込み、その限界を超える感覚をもう一度実感する必要があるから (P23)という動機は、まさに走ることを生きがいにする著者らしい。 しかも、常識的な北から南下するルートではなく、ほぼ間違いなく時間がかかるであろうことも承知 (P35)で、南から北上するルートで挑むという。
それが本書のタイトルになった所以だが、ゴールにそびえるカタディン山が聖地のような存在となり、著者の心を何度も激励してくれる。
だが、わずか5日目で足を痛めてしまい、当初の計画から徐々に遅れていく。
何のために挑戦したのだろう? 何のために走っているのだろう?
足を動かすたびに激痛に襲われながら、睡眠不足による幻覚にさいなまれながら、そしてSNSで誹謗を受けながらもなお、一歩一歩前に進もうとする。
その様子は、たとえば38日目に撮影された、山荘でポテトチップスを口にする写真が、目はくぼみ、頬がこけ、生気を失った目をした病人のような姿を映していて、この挑戦が身体的にも精神的にも、極限を強いる厳しい戦いであることを、まざまざと教えてくれる。 このあたりまでくると、身体から酢のような悪臭が放ち始めたといい、それは筋肉のアミノ酸とタンパク質の代謝の副産物だ。僕は文字どおり、自分自身の肉を食っていたのだ。一日に七〇〇〇キロカロリー以上を摂取し、大量の炭水化物を食べてはいたものの、危険なことに、いわば生存に必要な体内の備蓄に手をだしはじめていたのだ。一日に二〇時間も立っているという行為は、自分の筋肉を端から少しずつ齧っていくようなものだ (P241)と、生々しい感覚を伝えてくれる。
これほどの苦痛を感じながら、なぜ著者はFKTに挑もうとしたのだろうか?
記録を狙うなら、事前にガイドブックを精査したり、入念な下見を行ったりするだろうが、あえて未知の部分を残していた。
それは、日本語版解説を記した探検家・角幡唯介の言葉を借りれば、ジュレクはこの挑戦を、事前に不確定要素を取り除いたスポーツとして位置づけるのではなく、その不確定要素を意図的に残すことで何が起こるかわからない冒険行にしたかった (P348)のだろう。
たしかに、過去にこのトレイルに挑んだ者のなかには、熊やマムシに襲われ絶命したり、遭難したりする者も後を絶たないという。
死と隣り合わせの危険に挑んだ著者と、それを支える仲間、そしてなにより夫の気まぐれな挑戦を最後まで後押しし、献身的にバックアップを続けた妻・ジェニーの存在は、メインディッシュに負けず劣らないトッピングとなり、日記調の本書を唯一無二のドキュメンタリーに仕立ててくれる(著者と妻の回想が繰り返される構成も微笑ましい)。
関連書籍:著者の前著「EAT&RUN」 |