著者 |
村上春樹 |
出版社 |
文藝春秋 |
出版年月 |
2007年10月 |
価格 |
\1,429(税別) |
入手場所 |
市立図書館 |
書評掲載 |
2009年9月 |
評 |
★★★★☆ |
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出版する作品が飛ぶように売れてゆく、いま最も注目されている小説家。紹介するまでもないが、本書の著者を一言で表現すると、こんな感じだろうか。 恥ずかしながら、私自身は彼の小説を読んだことがないのだが、今年出版された「1Q84」が社会現象となるほど売れているという報道を聞くにつけ、いつか読んでみたいとは思っていた。
世界的にも著名な作家である著者が、積極的にランニングを楽しんでいるという話は、シドニーオリンピックを取材したエッセイ・「Sydney!」でも触れられていたが、本書は、まさにその「走る」ことについて感じていることや、自身の生活との関わりについて語っている思索的な内容だ。
とはいえ、作家としては輝かしい経歴を有しているものの、走ることに関しては、平凡なランナーに過ぎない。そのような素人が描くランニングエッセイに、いかほどの価値があるのだろうかと思って手にしてみたが、そこはやはり小説家らしい、広くて深い洞察力や、想像力を駆使したユーモアたっぷりの記述が次々に飛び出し、240ページにのぼるボリュームながら、飽きることなく読み終えてしまった。 では、一体彼はランナーとしてどれほどの経歴の持ち主なのだろうか。 驚くことに、著者は小説家となることを志して以来、現在に至るまで、大きなブランクもなく25年以上も走り続けている。当初は20分〜30分程度走るのがやっとだったのだが、今では毎年フルマラソンを完走し、100kmウルトラマラソンや、トライアスロンにも挑戦しているという。 その目的は、もちろん健康維持のため、と思いきや、どうも走る理由はそれだけではなさそうだ。
著者は、本書のなかでしきりに、小説を書くという行為と、走るという行為を結び付けようとしている。それどころか、「僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた 」、「もし僕が小説家となったとき、思い立って長距離を走り始めなかったとしたら、僕の書いている作品は、今あるものとは少なからず違ったものになっていたのではないかという気がする (P113)」とまで語っていて、自身の小説に与えている影響の強さ(おそらくは良い意味での)を吐露している。 また、走ることに対する情熱も人一倍で、不満の残るレースとなってしまった時には、「いくら考えても納得がいかない。あんなに努力したのに、どうして痙攣なんてものに襲われなくちゃならないんだ? 」、「もし天に神というものがいるなら、そのしるしをちらりとくらい見せてくれてもいいではないか。それくらいの親切心はあっていいのではないのか? (P199)」などと憤慨している姿をみると、雲上人のように想像していた偉大な小説家が、とたんに「フツーのおっさん」に思えてくる。
もしかしたら、深い洞察力がある彼のことだから、あえて親しみやすさを前面に出すことで、新たな読者層を開拓しようとしているのだろうか。 なぜって、これほど素直な自分をさらし、ランニングを心から愛する作家が描く小説の世界とは、一体どんなものなのだろうかと、興味が惹かれる読者は少なくないだろう。 もちろん、かく言う私もそのひとりに違いない。
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