近年、日本の女子中長距離界に革命が起きている。
とりわけ2020年代に入り、女子1,500mで14年間破られていなかった日本記録「4分07秒86」が、2020年8月に4分05秒27まで短縮されるや、2021年東京オリンピックでは、準決勝と決勝で「4分の壁」を2レース続けて突破する驚異的な日本新記録で、8位入賞の快挙を成し遂げた。
これまでの常識を覆す急成長を遂げたそのアスリート「田中希美」は、日本陸上競技界が長らく待ち望んでいたシンデレラガールに違いない。
そんなスーパースターの練習スタイルもまた、これまでの常識からみると一風変わっている。
実業団選手としてマラソンで活躍した母・千洋と、そのコーチ役を担っていた父・健智のもとに育った希美にとって、高校時代から視線は世界に向けられていたようで、高校卒業後の進路を決めるにあたっては、チーム事情を考慮したレース日程に縛られてしまうことは望ましくない、との考えから、大学進学後は学連に所属せず、クラブチームを結成して競技に取り組む新たな道を選んだ。
学連か実業団、という選択肢が常識の日本陸上界にとって、異例の挑戦だ。
本書の著者でもある父が、娘・希美のコーチ役を担うことになったのもこの頃だ。
決してトップアスリートではなかった経歴に加え、親子での指導関係には甘えが出るのではないかと、周囲からの評判は芳しくなかったようだが、前述の通り、彼女たちは日本陸上競技史を次々に塗り替えていて、この師弟関係は5年に及んでいる(出版当時)。
複数種目に果敢に挑むスタイルも常識外れで、800m・1,500m、そして5,000mに至るまで、たびたび国際大会に登場することから、テレビのライブ放送を観戦していると、一体いつ休息しているのだろうと心配になってしまうほどだが、すべてはメインの5000メートルで強くなるためのアプローチ (P119)であり、2019年頃から、ずっと5000メートルで14分30秒切りを目標に置いてきた (P132)と、急速に高速化する5,000mでいかにして世界と戦うか、という一貫したポリシーが共有されている。
事実、2023年8月にはブダペスト世界選手権5,000mにおいて、従来の日本記録を大幅に短縮する14分37秒98で予選を突破すると、揺さぶり激しい決勝でも粘り、8位入賞に輝いた。
しかも翌月のダイヤモンドリーグでは、14分29秒18と更に記録を伸ばし、数年前から温めていた14分30秒切りの目標を有言実行させた。
記録の短縮幅が劇的であることから、次は一体どのような大記録を出してくれるのだろうかと期待するファンも多い一方で、周りから当たり前のように勝つことを求められ、心の波の振れ幅は以前より大きくなっている (P174)と、急速に成長してきたゆえの悩みも吐露している。
だが、彼女たちの視線は常に数年先を見据えていて、短期的な結果に一喜一憂するのはナンセンスだろう。
本書によると、2027年頃にロードに取り組む計画を有しているというから、これからも彼女たちの常識外れの共闘を楽しみに見守りたい。 |