著者 |
著:アラン・シリトー
訳:丸谷才一、河野一郎 |
出版社 |
新潮文庫 |
出版年月 |
1973年8月 |
価格 |
\400 |
入手場所 |
ブックオフ |
書評掲載 |
2006年6月 |
評 |
★★★☆☆ |
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原作は、イギリスのシリトー氏が1959年に発表した短編小説で、「名作」として世界中で翻訳されている。
本書を手にしたのは、たしか大学に入学したあたりだったと思う。 当時は哲学っぽい硬い印象を受け、ずっとほこりをかぶったままになっていたけれど、ふと最近になって読み返してみたら、主人公の内面を詳細に、そしてとても客観的に描いていることに気付き、なぜ本書が「名作」として後世に語り継がれているかが分かった気がする。
非行の常連である少年・スミスは、ある空き巣でヘマをしたために感化院に収容されてしまう。 しかし彼の健脚に目をつけた院長の指示により、クロスカントリーの選手として全英大会で優勝することを目標に、日も明けぬ極寒の野原や森を、哲学者のように思考しながら、孤独に走り続ける。 表向きは従順なふりを装い、来る日も来る日も淡々と走り続けるが、内心では彼らに逆襲するチャンスを待ち望み、そして観衆が見守る大舞台で、ついに彼は決行する・・・。
人物描写が上手で、主人公が一人称で自らの内面を赤裸々に語りながら、それでいて感情を決して表に出さないツラの皮の厚い様子がよく伝わってくる。 とかく長距離走者という人々は、周囲から奇異の目で見られることが多く、私自身も、「走ってて何が楽しいの?」といった類の質問を、多分150回ぐらい聞いていると思う。 本書はまさに、それらに対する答えを与えている気がする。
だが、私はいまひとつ主人公に感情をシンクロさせることができなかった。それはおそらく、走る際の「苦しさ」が全く描かれていないからかもしれない。 そう、まるで最盛期の瀬古選手のような、あたかも精密機械のような走りに、なんだか人工的な匂いを感じてしまったのが残念に思えた。
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