思いがけず先月より日本を離れ、ドイツに滞在することになってしまった。
異文化に触れる経験はどれもこれもが新鮮ではあるが、日本と異なる感覚に戸惑うことが少なくない。
BBCニュースでは、毎日のようにウクライナやイスラエルでの争いがディープに伝えられ、つい先日には、隣国チェコでのテロによる痛ましい悲劇が報道されたばかりだ。
ヨーロッパの先進国とはいえ、日本とは異なる日常があることを感じずにはいられない。
もちろん、日本もかつては世界大戦の当事者となり、戦争が国民の自由を奪う悲しい現実を知っている。
スポーツの世界も例外ではない。2024年大会で100回目の節目を迎える箱根駅伝も、太平洋戦争による中断を余儀なくされたことは、昭和十八年の冬 最後の箱根駅伝 (早坂隆)や、昭和十八年 幻の箱根駅伝 (澤宮優)に詳しく記されている。
本書は、そんな史実を舞台にした架空の物語ではあるが、第100回大会の箱根駅伝本戦に挑む伝統校が、戦時を生きた学生の日記をたどりながら、箱根駅伝が紡いできた歴史を教えてくれる。
どうして日本インカレや日本選手権で活躍した選手より、箱根駅伝を走っただけの選手を人々は持て囃すのか。タイムもたいしたことないのに、怪我をしただとか親が死んだだとか親友との約束があるだとか、ただドラマティックな事情を背負っていただけの選手をヒーローみたいに扱うのか。 (P186)と語り、頑なに駅伝出場を拒み続けるチームのエース・神原八雲はしかし、戦時に大会開催に尽力し、そして散っていった先人の歴史を知り、心が揺れていく。
国道1号線が使えないなら、とルートを変え、昭和16年と17年は青梅駅伝と銘打ち代替開催された。
箱根を走れない悔しさと、それでも代替開催された学生駅伝を喜ぶ気持ちが複雑に交錯する様子を、登場人物を通じてリアルに語られる。
どうしても箱根を走りたい。
関東学連が解散させられるなか、戦勝祈願と鍛錬を前面に押し、靖国神社と箱根神社を往復するルートを提案し、ついに昭和18年に「最後の箱根駅伝」が開催された。
靖国を出発し、タスキを繋ぎ、再び靖国神社に我々は帰ります。そして今度は靖国から戦地へ旅立ちます。いずれ、英霊として靖国神社に戻ってくることを願って (P124)と軍の幹部との交渉に挑むシーンは、思わず涙腺が緩みそうになってしまう。
その後の戦況悪化により3年間の空白を挟むが、終戦後に今度はGHQと交渉し、復活開催にこぎつけた。
開催されない期間が長引けば長引くほど、復活は難しくなる。 最後の箱根を経験した僕達がやらなければ、箱根駅伝はこのまま消滅する (P272)。
そして繋がれたタスキが、来月100回目の節目を迎えるのだ。
漫然と続いてきたわけではない。大会開催を勝ち取り、いまに至っているのだ。
先人たちの尽力と、それを小説というストーリーに紡ぎ、現代に蘇らせてくれた著者の筆力に「プロースト!」
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