コロナ禍で自粛生活を余儀なくされるなか、ランナーの数が増えているという。
たしかに、週末の河川敷では実際にランナーを見かける機会が多くなったし、新聞や雑誌でランニング特集が掲載されることも珍しくなくなってきた。
つい先週、3面に渡るランニング特集を組んだある新聞によると、笹川スポーツ財団の調査で、年に1回以上走るランニング推計人口が18年に964万人と過去20年で300万人近く増えた そうだ。
また同紙によると、長距離走で苦しい状態が続くと、脳内で神経伝達物質「エンドルフィン」が分泌され、強い高揚感や満足感が得られることが、現代社会のストレスを洗い流してくれると、主要読者であるビジネスパーソンに対し、ランニングを好意的に紹介している(2021年8月1日付・日本経済新聞朝刊)。
本書の登場人物も、そんなランニングの魅力に憑かれた者ばかりだ。
とりわけ今回題材にされたアドベンチャーレースという聞きなれない種目は、コースが設定されているわけでもなく、荒野を駆けながら、複数のチェックポイントを通過しゴールを目指すという、自然相手のシンプルでありながら、過酷なレースだ。
たとえばこの小説の舞台では、4人でチームを組みながら、瀬戸内海の離島をカヤックも操り、24時間で6つのチェックポイントを経て、ゴールを目指すという設定だ。
命の危険すら潜む危険なレースに、もちろん携帯電話などの通信手段は許されないという。
それにしても、なぜ選手はこのような危険なレースに挑もうとするのだろう?
警視庁チームのキャップを務める和倉にとって、最初は「死にそうだ」と思っていたトライアスロンも、何回も参加するうちに慣れて、飽きてくる。(中略)順位だけを気にしているわけではない。大事なのは、終わった後で、いかに「燃やし尽くした」感を持てるかだ (P67)と、さらに厳しい舞台に挑もうとする選手の心を代弁している。
平日は仕事に追われ、待望の休日は休息に充てたいはずなのに、なぜあえて自分を酷使しようとする人が増えているのだろうか?
こういうことにはまるのは、公務員生活の反動だ、と和倉には分かっていた。日々同じ生活を繰り返す−繰り返さないと警察官の仕事はできない−のに飽き飽きして、非日常を求めてレースに没入する (P347)と語る自虐的なセリフに、共感を禁じ得ないランナーは少なくないだろう。
そんな人生を賭けた「道楽」に没頭する和倉に伝えられた信じられない脅迫電話。
愛する家族を守るために、レース中にあるものを回収しなければならないという。
普段は冷静な判断でチームを率いてきた和倉は戸惑い、狂ったようにゴールを目指す。
チームを組むメンバーは、常軌を逸した行動をとるリーダーに不信を抱き、気持ちも行動もバラバラに陥っていく。
レースは棄権して別の手段を考えられるだろう(笑)、と思わず突っ込みを入れてしまいそうな、やや無理やり感のあるストーリーではあるものの、一方で、危険なレースに挑もうとするランナーの心情や、自然を相手にするアドベンチャーレースという競技の世界観を存分に表現している点は秀逸だ。
痛みも苦しみも、走っている間は忘れてしまう。そんなランニングの魔力をストーリーにうまく溶け込ませていて、なるほどこのストレス社会でランナー人口が増加している理由が、本書を読んで理解できる気がする。
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