時は幕末の安政二年(1855年)、上野国(現在の群馬県)安中藩主の板倉勝明殿が、夷狄からの襲撃に備えるための心身鍛錬を目的として、「遠足」を行うと、突然お達しを出され申した。
しかもその行程は安中城より熊野権現神社までの七里七町(約28.3km)というから、正気の沙汰とは思えない。
まったく、黒船が来てからというもの、殿は何かと思いつきで事を為される。
われわれとて、日々の生活に汲々としておるのに、真夏のさなかになぜそのような苦しい所業をせねばならぬのだ。
そこかしこで藩士のグチが聞こえてくるのも無理はない。
板倉勝明は藩内で学問を奨励し、志が非常に高い名君として誉れ高い。
黒船が来航し、泰平の眠りを覚ましたと言われているが、わずか三万石のわが藩が右往左往してどうするというのだろうか?
もしや殿は乱心めされたのではないか?
そんな不穏なうわさも飛び交うなか、遠足は波乱含みの太鼓の音でスタートが切られた。
遠足を行うといっても、ただ走らせるだけでは面白くない。一等には褒美を取らせるとの話が伝わるや、がぜんやる気になる一部の藩士たちに対し、日々の鍛錬を怠っている多くのお歳を召された藩士にとっては、格下の若輩者に先を越されることが面白いはずがない。
そんな数十人の藩士たちが、己の欲望をむき出しにして、時にはずるがしこい戦略を練りながら目的地を目指していく。
ある者たちは褒美として、美しい姫を嫁にもらおうと競い、ある者はどさくさ紛れに脱藩を企てている。
遠足に参加しているのは藩士だけではなく、競走を賭けにしている商人らのそろばん勘定も絡み、一筋縄には終わりそうもない。
そんな彼らが各章において一人称で語りながら物語が進んでいくのだが、全編を通して主要な登場人物全員が上手にストーリーに絡みながら、かつ彼らがこれまでの人生を投影させるかのように進んでいくのが、本書の醍醐味だ。
ところでこの「安政の遠足」と呼ばれる出来事は、どうやら実際に行われていたようで、板倉勝明という人物も歴史上の偉人のひとりとして名を連ねている。
なんと突拍子もないテーマの小説なのだろうと醒めた目で読んでいたのだが、実在する人物や出来事をモデルにしているとなると、印象はがらり変わってくる。
インターネット上の百科事典・Wikipediaによると、安政遠足は、日本におけるマラソンの発祥といわれ、安中城址には「安中藩安政遠足の碑」と「日本マラソン発祥の地」の石碑が建てられている 、と紹介されている。
おそらく著者は、藩士たちがどんな思いでこの遠足に挑んだのかに興味をひかれてしまい、小説のテーマに選んだのではないだろうか。
むろん、これほど出来過ぎたストーリーはフィクションに疑いはないだろうが、ユーモアたっぷりに当時の人々を描き、歴史にも興味を抱かせてくれる、非常にユニークな作品だ。 |