書店めぐりをしていると、まれに「本に呼ばれる」ような経験をすることがある。ネット書店では味わうことができない醍醐味だ。
入れ替わりの激しい新刊書籍の棚のなかで偶然目にとまった本書は、まさにそんな一冊だった。
とは言っても、なじみの薄い出版社に、聞いたことのない作家、そして暗く地味な装丁からは「つまらなそうなオーラ」をまとっているかのように映る。
それに加えて、著者の本職は岩手放送のアナウンサーだといい、本書の舞台も地元の岩手という設定からは、とても全国区で販売するクオリティには思えず、購入をためらっていたのだが、帯に書かれた「爽快マラソン小説!」のフレーズに、マラソン小説マニアの心がくすぐられ、思わず財布のヒモが緩んでしまった。
かような経緯で購入したのだから、失礼ながら期待度は低かったのだが、意外や意外。本書はとても完成度の高い小説だ。
国内最大手のスポーツメーカー社長の強力なバックアップのもと、スポーツ不毛の地である岩手に大規模な国際マラソンの開催が決まったことが物語の発端だ。
すぐに大会事務局が設置され、地元自治体に広告代理店、そして放送局らが短期間で準備を整え、晴れてレース当日を迎えることが叶った。
テレビ中継は全国ネットで放送されることが決まり、移動中継車に座るメインアナウンサーには、系列キー局の著名アナを押しのけ、地元局の桜井剛が抜擢された。
地元のアマチュアスポーツに飽き足らず、いつかは大規模なプロスポーツの実況を担当したいと願っていた桜井にとって、成功すればキー局への転職にも現実味が帯びてくる。
一方、東京の本社から出向しているスポーツメーカー社員にとっても、失敗すれば出世の夢も消えかねない大舞台だ。
準備は万端整った。
国内外の第一線級のランナーを招き、華やかにスタートの号砲が競技場内に鳴り響いたのだが、それと同時に誰にも見守られないまま、ひっそりと競技場脇の沿道を走りだす男がいた。
選手が一般道に出た後も沿道を走るその男は、やがて桜井の目にもとまるようになり、実況で触れるか否か考えあぐねていた。
余計なことを実況し、自身の評価を落とすリスクを心配する一方で、凹凸の多い歩道を走りながらトップ集団に肩を並べる走りに興奮を隠せない。
彼は一体誰なのか?
そしてなぜレースに出場せず、沿道を走るのか?
ゴールが近付くにつれてその背景が明らかにされ、これまで点でしかなかった登場人物たちの関係が線につながり(しかも霊界まで!)、物語ががぜん面白くなってくる。
主人公にマラソンで沿道を走らせる、という奇抜な発想からは終盤の展開が全く読めず、それだけに後半は「ほぉ、そうきたか」と唸らされ、ラストもうまくまとめている。
マラソンという単調なスポーツを題材にしながら、よくぞこれほど読者を惹きつけるストーリーを練り上げたものだと感心してしまう。
また登場人物の人物設定も非常に綿密であり、マラソン大会開催に関わる様々な職業にスポットライトをあてつつ、人事に翻弄されるサラリーマンの悲しき上下関係や、その家族らの悲喜こもごもを上手にストーリーに溶け込ませていて、捨て役がひとりもいない。
当初抱いていた寒々とした印象に反し、退屈な場面がないスピード感に溢れた小説で、読後感が心地よい。
ただ唯一気になったのは、くどいほど紹介される地元自慢で、たとえばP200〜201のわずか2ページのなかで「岩手」が7回も登場するなど食傷気味だ。
著者の地元愛は十分に伝わり、ご愛敬ではあるのだが、不自然な名所紹介は本書のテーマをぼやけさせてしまう。 |