かつて一度だけ、100kmウルトラマラソンにチャレンジしたことがある。
まだフルマラソンで3時間を切る走力があった頃なので、完走は当然できるだろうと高をくくっていたが、打ちのめされた。
30kmを過ぎた頃から足取りが重くなり、40kmを過ぎると太ももから足裏まで腫れるような痛みで走れなくなり、50kmレースのゴール地点でリタイアした。
考えてみたら、100kmどころか、50kmを一度に走った経験すらないのだから、圧倒的な練習不足だったのだろう。
だが、ウルトラマラソンの人気は高く、月刊誌ランナーズ2015年9月号によると、1986年にわずか36名の出場者で始まったサロマ湖ウルトラマラソンが、30年目の2015年には2,721名ものランナーが100kmを完走している。
しかも同大会は、エントリー開始からわずか24分で定員に達したというから、驚かされる。
この大会の魅力は、北海道の大自然を眺めながらの雄大なコースや、ボランティアの温かいもてなしだけではなく、10回完走者を称えるサロマンブルー制度も特徴の一つだ。
達成者には、青色のナンバーカードが用意され、専用の控室も準備される。また、北見市常呂町スポーツセンターに記念プレートが飾られる (同誌P55より)というから、ランナーにとって憧れの称号に違いない。
それにしても、なぜ人はこんな苦行に挑むのだろうか?
マラソンを2時間半で走ったことがある私ですら、半分でリタイアするほどの長丁場だ。
スタートは朝早いし、荷物は多い。出場料もバカにならず、がんばって完走しても、もらえるのはタオルだけ。
合理性を追求する社会で日常を過ごしている者にとって、何もメリットなどないではないか? 健康面でもリスクはあり、心臓血管系のトラブルはもちろん、いちばん怖いのはハンガーノックだ。体内に蓄えられたエネルギーが底を尽き、空腹を覚えて体が動かなくなってしまう。もしそうなってしまったら終わりだ。体力ばかりでなく、思考能力まで奪われてしまう (本書P169)。
そこまでして、人は何を求めてウルトラマラソンに挑むのだろう?
そんな疑問に対するヒントを、本書は小説の登場人物を通じて、読者に教えてくれるようだ。
稲垣真鈴(まりん)の父は、ランニングをこよなく愛し、多摩川ウルトラマラソンは9回完走するほどの経験者だ。
10回完走者に贈呈される「多摩川ブルー」の永久ゼッケンを得るまで、あと1回。
だが、志半ばで病に倒れ、その夢を果たすことは叶わなかった。
父の遺志を受け継ごうと、真鈴は母と50kmの部を二人で走り、心の多摩川ブルー (P44)を得ようと、トレーニングを始めた。
ウルトラマラソンに挑もうとする者は、稲垣家だけではない。
かつて日本代表として走りながら、いまはエリート選手特権を剥奪された実業団ランナーや、大病を乗り越え、生きる目的を再認識した者、そして、夢や希望もなく漫然と過ごす日々に嫌気をさし、大会ポスターのキャッチフレーズに触発され、一念発起する者など、出場を決意する動機は様々だ。
目的は異なれど、ウルトラマラソンには、出場者それぞれの長い人生が投影されているようだ。
なるほど、目の付け所が新鮮で、時折語られる専門用語も心憎い、爽やかなスポーツ小説なのだが、個性あふれる人物を複数登場させながら、彼らが交錯する機会を想像していただけに、やや淡白な印象が残ってしまう。
河川敷を走る単調なコース設定なのだから、もっと読者の心を揺さぶる起伏があってもよいだろう。
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