駅伝全国大会を目指していた三崎中学陸上部は、わずかな差でその切符を逃してしまった。
エースの山岸良太を起用していたら勝てたのに、情に流されて力の劣る選手を選んでしまった監督のせいだ。
そう憤る主人公の町田圭祐に対し、良太は平静を装い、高校で全国を目指そうと声をかけてくれた。
だが陸上の名門・青海学院高校に推薦入学が内定している良太に対し、自分は一般入試を経ての入学だ。良太と全国大会を目指すという夢を励みに、死ぬ気で勉強して合格したものの、果たしてエリート揃いのチームに居場所はあるのだろうかと悩む圭祐に、追い打ちをかけるように襲った交通事故。
卒業式を松葉杖で迎えながら、これでは走るどころじゃない。
そんなもやもやを抱えたまま出席した入学式の帰りに、明るく声をかけてきたのは、同じ中学出身の宮本正也だった。
正也は放送部に憧れてこの高校を選んだというが、誘ってきた理由は雑談をしたいためではなかった。なんと町田の声は俺の理想の声なんだ (P39)とハンバーガーショップに響き渡る声でスカウトしてくるではないか。
冗談じゃない。いくら骨折したとはいえ、陸上で得られた充足感を、放送部で得られるわけがない。所詮、文化部だ。 (P41)とにべもない。
だが今の自分は走る意欲も薄れているし、そもそもまともに運動すらできそうにない。
観念したように放送室の重い扉を叩いていくのだが、これまでの部活とは全く異なる雰囲気に戸惑いながらも、その魅力に引き込まれていく。
目標はJBKホール! 全国ネットの放送局が主催するJBKコンテスト決勝が行われる舞台だ。
作品はテレビ・ラジオそれぞれドキュメントとドラマの4部門に出品予定で、ドラマは9分という規定時間に収める必要があるという。
一見すると、圭祐の陸上経験は全く役に立たないように思えるが、圭祐は九分を意識したことがあるのか? と正也に問われると三〇〇〇メートルの目標タイムだ (P63)と直球で答えるやり取りに始まり、陸上ファンの琴線に触れる会話が随所に登場する。
これまでの僕にとって、陸上の試合や駅伝大会、受験、どれも勝負は、当日だった。コンディションのピークをその日に持っていく。すべてを出し切る。だけど、放送コンテストでは、大会当日には何もすることができない (P180)と陸上部での経験と対比させながら一人称で語らせる言葉からは、井の中の蛙が大海を知ったかのように、思春期の少年がぐんぐん成長していく姿を感じてしまう。
文化系クラブを見下していた圭祐はしかし、主役を務めたラジオドラマでのセリフさながらに、現実社会でも自分を変えていく。
ちょっぴり恋心を寄せる(と思われる)女子に対してイジメが行われ、誰もが従順にならざるを得ない環境のなか、正しいことを正しいと主張できるのは、ドラマの中だけなのか? (P266)と自らに問いかけ、毅然と立ち向かっていく。
これまでは考えられなかった行動に自分でも驚きながら、一方で陸上への復帰も諦められない圭祐は迷い、そして決断する。
自分にもこんな経験あったっけ? そんな懐かしい思いに駆られてしまう臨場感あふれる青春小説です。
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