入社以来25年にわたりコツコツと実績を積み重ね、将来は女性初の役員候補とまで言われていた小野寺かすみが、突然リストラのターゲットになってしまった。
しかもその理由たるや「社長のご立腹」などという訳の分からない説明なのだから、到底納得できるものではない。
そんな会社に見切りをつけ退社したものの、さてアラフィフの私を必要としてくれる会社が簡単に見つかるものだろうか?
「30代以上・未婚・子なし」の「負け犬」に「職なし」が加わったと自嘲するかすみのもとへ、知人の夏子から明後日の東京マラソンへ応援に行かないかと誘うメールが届いた。
正直に言って、気が乗らない。
自らの意思に反して会社を去ることになり、これから仕事探しに専念しなければならないというのに、なにを呑気にマラソンの応援などできようか?
そもそも、2時間も3時間も走り続ける人の気が知れない。まして沿道で応援など、面白いはずがない。
だがそうは言っても、知人の誘いを無下に断るには角が立ってしまう。仕方ない、銀ブラついでに眺めてみるか、と渋々誘いに乗ってしまう。
軽い気持ちで応援に行くつもりのかすみに対して、夏子は緻密にランナーの通過予定時間を計算し、応援場所を縦横無尽に先回りするほどの本気ぶりだ。
なぜそこまで他人のために真剣になれるのか?
自分だけが不幸のどん底に落とされたとネガティブだったかすみの心境が、マラソンを通じて徐々に変化していく。
かすみの心境に変化をもたらした人物のひとりが、沿道での応援中に偶然出会った元同僚の島崎あかりだ。
あかりは、数年前に銀行員と結婚し、寿退社したはずだ。
はたから見ればうらやましい「勝ち組」だが、実は結婚直後に陰湿な退職勧奨が行われていた事実を知る。
おかしいではないか! 出産後も働く社員がいるという宣伝に惹かれ入社したというのに。そう訴えるあかりに対し、冷酷な会社側の態度に愛想を尽かし、泣く泣く会社を去らざるを得なかった。
あかりは働きたくても働けない悔しさを感じ、さらには夫・雄太郎からの出向の知らせに戸惑い、世間の体裁を気にしていた。
なんて浅ましいのだと自分を恥じる一方で、息子には「負け組」に入ってほしくない、と積極的な行動を促すあかりに対し、普段は寡黙な雄太郎が社会には無数の尺度がある。価値観も人それぞれだ。勝ち負けも捉え方次第でどっちにもなる(P80) と説く数行には心を打たれる。
その言葉通り、性に合わなかった銀行を離れ、生き生きと趣味のランニングを楽しむ雄太郎を見て、あかり自身も自らの価値観が変わっていき、ひとりでドキドキしながらスポーツショップに足を運ぶ様子は微笑ましい。
そんな彼女たちの変化に刺激を受けたかすみもまた初マラソンにチャレンジするのだが、地元の小さなレースではなく、フランス・ボルドーのメドックマラソンという聞いたことのないレースを選んでしまった点が興味深い。しかもこのレースは仮装・飲食(高級ワイン付き)ありという常識外れのエンターテインメントに溢れたイベントだという。
いったいどんなレースなのか、とすぐにインターネットで調べてみると...これは楽しそう! とリアルにワクワクしてしまう。
本書を手にしたときは、訳の分からないタイトルに、聞いたことのない作者であったため、得るものは少ないのではないかと期待薄だった。
しかし、個性あふれる登場人物が代わるがわる一人称で語る小気味いいストーリー展開に加え、実在のレースや地名を舞台にした現実感がリアリティを増し、思わず作品に引き込まれてしまう。
特筆すべきは、脇役と思われた「出産後も働く社員」としてPRされていた女性も、ストーリーに重要な役割を果たしているなど、捨て役を一切出していない点には著者の将来性を感じる。
また表面的にはストーリーの構造は、冷酷な会社を仮想敵に見立てる、あるいは「勝ち組」と「負け組」を対照させる背反関係を浮きだたせているのかと思いきや、終盤では悪の枢軸である人事部長を、同じ東京マラソンを走る一人のランナーとして登場させ、それぞれが抱える複雑な人間模様を公平に描いている。
その点では、小説としてはやや面白みに欠けるきらいがあるものの、みんな周りの支えや応援があって生きているんだ、というホッコリと温かい読後感を得られる作品です。
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