その走りは紛れもなく歴史に残る名場面だった。
陸上競技の国際大会におけるショートスプリントといえば、マッチョなスプリンターが世界ランクの上位を占めていて、身体的に劣る日本はこの競技に不向きと思われがちだ。
現に、リオデジャネイロオリンピックでの個人種目では、アジアからは表彰台はおろか、決勝に誰一人残ることができずにいた。
しかし日本は、四継でジャマイカに次ぐ銀メダルを獲得した。国・地域別では歴代3位にランクされる37秒60。それは、100mで10秒を切る選手がひとりもいないなかでの快挙であり、世界中の陸上競技関係者から称賛されたビッグニュースでもあった。
ちなみに、メンバー全員が100mで9秒85以内の自己記録を有していたアメリカを0秒02抑えた(陸上競技マガジン 2016年10月号)というのだから、バトンリレーの技術を磨き続けた日本の銀メダルが、いかに価値あるものだったかが分かるだろう(アメリカはのちに失格)。
本書は、その偉業を達成した山縣亮太、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥のカルテットへの取材を中心に、彼らの素顔や知られざる苦悩、そして四継に秘められた魅力に迫っている。
彼らの一糸乱れぬバトンリレーを見ていると勘違いしそうになってしまうが、本書を読んでいると、メンバーの性格がいかに異なっているかが伝わってくる。
たとえば、桐生は動物的な感性を持っているのに対し、飯塚は理論派で鳴らしている。
また、山縣はケンブリッジと選手村で同部屋だったにもかかわらず、居心地が悪そうに「俺、別で寝るわ(P70) 」と言い残し、部屋を出てしまう。
この部分だけ読むと、なんだかちぐはぐな様子が際立ってしまうが、決して仲が悪いわけではなく、それどころかそれぞれがトップアスリートとしてのプライドを持ち、お互いに個性を尊重し、信じあえる環境があることの表れなのだろう。
ところで、リオでの偉業については上述の4名のメンバーにばかり注目が集まってしまうが、その周囲でサポートをしている関係者にも、本書は深堀りしてくれる。
陸上部の無いセイコーホールディングスに入社した山縣を追って、大手企業の内定を入社直前に断った瀬田川歩ら個性あふれる魅力的な人物もふんだんに紹介してくれるが、特に心打たれたのは、リレーメンバーに選ばれることが叶わなかった、高瀬慧と藤光謙司に関するエピソードだ。
日本代表が決定して以降、スタッフには2つのプランがあった。
Aは山縣−飯塚−桐生−ケンブリッジ。Bは山縣−飯塚−高瀬−桐生だ。
直前のタイムトライアルでは、Aの38秒40に対し、30分後に行ったBは38秒06。
競り合うことのないトライアルで出したタイムとしては、Aも好記録だが、Bが当時の日本記録(38秒03)に次ぐ怪記録であったことに、誰もが驚きを隠せない(P132)。
ケンブリッジか、高瀬か。逡巡する土江、苅部の両スタッフによる静かな対話は、心臓の鼓動が読者に伝わってくるほど緊迫した場面だ。
そして迎えた決勝当日。
「決勝はもっとタイムを上げて行こう。そうじゃなきゃメダルは取れない 」「バトンを攻めて行こう 」と、バトンリレーの足長を伸ばすことを提案する選手に対し、土江は攻めの姿勢が裏目に出た過去に触れ、「バトンが届かないのでは」という不安が生じるよりも、「(バトンを)もらう方が思い切り出られるか」に重点を置いた方が良いと提案する。
妥協案として、飯塚は予選に対して「半の半(P214) 」の足長を伸ばすことになっただが、この判断が結果として偉業達成の伏線となった。
決勝では1走の山縣から2走の飯塚へ渡すバトンが空振りし、ヒヤリとさせられる場面があった。
もし飛び出しを半足超伸ばしていたら、あの歴史的快挙は成し遂げられなかったと思うと、時速40qで疾走しながらバトンを渡すことがどれほどリスクを抱えた競技なのだろうと慄然とさせられる。
その一方で、陸上競技ファンにとっては日本チームが日程後半で活躍してくれることは、非常に心強い。
つい昨日行われたロンドン世界選手権でも、多田−飯塚−桐生−藤光のメンバーで見事な銅メダルを獲得した。
リオからわずか一年後であるにも関わらず、そこに山縣とケンブリッジの名は見当たらず、弱冠18歳で日本選手権を制したサニブラウンも決勝メンバーから外れた。
メンバーを選ぶスタッフから嬉しい悲鳴が聞こえてきそうで、まだまだリレメンの活躍から目が離せそうもない。いや、次の期待は9秒台、そして個人種目でのメダル獲得だ!
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