「売木村」という名前を見て、「うるぎむら」と読むことができる日本人は、さほど多くはないだろう。
長野県南部に位置する小さな市町村だが、さしたる産業や観光資源がない小規模な自治体なのだから、読み方に確信を持てないのは無理ならぬことかもしれない。
だが残念なことに、私は生まれも育ちも生粋の長野県人だ。
関係者にさげすまれることを承知で告白すると、地元出身の私ですら、この村の正しい読み方を知らなかったし、それ以前に、その存在すら知らなかった。
つまり、(言い訳がましいのだが)売木村は地元ですら「ニュースにならない」地域なのだ。
そんな小さな村を知るきっかけは、大学の後輩がサロマ湖100kmウルトラマラソンで上位入賞し、世界大会への出場切符をつかんだという、SNSでの投稿だった。
そこで紹介されたNHKの「応援ドキュメント・明日はどっちだ(2014年9月9日放送)」で彼は脇役として登場しており、メインが本書の主人公で、売木村の専属ランナーという重見高好という人物だった。
ここ数年のランニング人気の高まりに応じて、レースでの賞金や講演、あるいは大会のプロデュースなどで生計を立てるプロフェッショナルの存在を耳にすることも増えてきたが、重見が「過疎化」という社会問題に希望の光をともす、異色のプロランナーだったことに大きな興味をひかれてしまった。
本書は、これまでの取材をもとに、番組では時間の制約上カットしたシーンや、追加取材で得られたエピソードなどを交えながら、村のウルトラランナー・重見高好の奮闘の軌跡をまとめたもの (P11)で、人口減少に悩む自治体と、生活の糧として賭ける一人のアスリートの思いが交錯するリアリティあふれるドキュメントだ。
考えてみると、大学も企業もスポーツ(近年は特に「駅伝」)に資金と人材を投入しているが、その対価として、広告宣伝効果を期待していることは間違いないだろう。
そんな意味では、有能なアスリートとプロ契約することは、投下資本以上の効果があるかもしれないという胸算用をたてることは、さほど難しいことではないのかもしれない。
しかしそんな腹黒いそろばん勘定とは全く関係なしに、重見と売木村を結びつけたきっかけが運命的であったことにこそ、本ストーリーの魅力がある。
とりわけ興味をひかれるのが彼の経歴で、家庭環境に恵まれずに育ちながらも、走ることで自分の存在意義を見出そうとする姿が、あの中山竹通にも通ずるものがあり、いまの日本人選手に欠けているハングリー精神の本質を教えてもらった気がする。
重見はその才能を認められ、実業団への就職を果たすも、プレッシャーにさいなまれ体調を崩してしまい、やむなく第一線から退くことになったのだが、走ることへの情熱は決して醒めておらず、退社後に再起を期す合宿地として偶然にも選んだ場所が(愛知県で一番高い)茶臼山の麓にある売木村だった (P98)という。
そんな奇妙な縁がきっかけで、政府が推進する「地域おこし協力隊」事業を活用して、彼は売木村役場の臨時職員として採用された。
自然豊かな地域ながら、仕事は、走って、村をPRすること (P8)と、のんびり感はかけらもなく、とりわけ最終章の24時間耐久マラソンでは、誰もが心配するハイペースながら、いっときも休まずに完走し、国内新記録で優勝してしまう姿は鬼気迫るものを感じる。
しかもゴール後にフラフラになりながらも「村長、いいアピールになりましたね 」(P201)と笑顔で語りかける一行には、思わず目頭が熱くなってしまう。
一方、本書を読んで気づかされたことは彼のプロ意識の高さだけではない。
それは、現代社会が抱える不安をスポーツの力で打開できるという指針を示してくれたと同時に、人生を自らの意志で切り開いていこうとするチャレンジ精神を失ってはいけないということだ。
そして、これからも応援したいアスリートと、訪れてみたい地域がひとつ増えたことは、スポーツと旅を愛する読者のひとりとして、とても大きな収穫だ。
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