こんな過酷なレースが存在したのか。
DVDを見ながら、思わず息を飲んでしまう。
2012年10月13日に放送されたNHKスペシャル。富山湾をスタートし、北・中央・南の日本アルプスを縦走し、駿河湾に至る415kmを8日以内に走破するという壮大なレースを取材したこの番組は反響を呼び、すぐに書籍化の企画が上がったという。
しかも出版元は系列のNHK出版ではない。集英社の担当者が週末に自宅で番組を見た次の月曜朝一番に電話をしてきて、その後すぐNHK名古屋放送局まで押しかけてきた (巻末の謝辞より)というから、よほど心を打たれ、書籍化に強い熱意を示したに違いないだろう。
その期待にたがわず、本書はテレビでは放送されなかった未公開エピソードや、前代未聞の山岳レースを取材するスタッフの苦労談が満載で、過酷な自然と戦うこのレースの魅力と恐怖を余すことなく伝えてくれる作品だ。
特に、取材班が当番組を制作するにあたってテーマとしていたのが、「なぜ走り続けるのか?」という本質的な答えを選手から導き出すことだったという(P209より)が、残念ながらテレビ放送版ではレースそのものに軸足を置かざるを得ず、その答えを視聴者に提示するまでには至らなかったのではないだろうか。
そんな意味では、本書こそ取材班が追い求めていた姿を体現したノンフィクションであり、選手の育ってきた環境や家族への綿密な取材を通して、この質問に対するヒントが隠されている気がする。
レースのスタートラインに着いたのは、30歳から50歳の28名で、うち女性は1名。
ちなみにこの女性・平井小夜子が最高齢なのだが、家から100km離れた場所で開催されたマラソン大会に出場するため、そのスタート地点まで走っていってそのままレースに参加し、2位でゴールした (P16)という逸話を冒頭からさらりと紹介してくれる。
そんな猛者は平井だけではない。このレースに出場できる選手は非常に高い条件をクリアし、かつ実技と筆記の選考会をクリアしなければならず、走力だけでなく、山岳に関する豊富な経験を有していなければ、スタートラインに立つことすら許されないのだ。
それだけ過酷を極めるレースであり、遺書さえ書いて臨んでもらいたい (P19)と選手に覚悟を求める一方で、賞金や賞品は一切ない。
ひとつの山を登ることだけで精一杯の標高3,000m級の峰々を休むことなく駆け続け、しかも平地はうだるような暑さの一方、高地は凍えるような寒さで、嵐に見舞われることも珍しくない。
睡眠時間は1日2〜3時間ほどで、それも山小屋での宿泊は禁止だといい、選手のなかにはあまりの疲労と孤独で幻聴や幻覚に襲われるものもいるという。
だからこそ、「なぜ走り続けるのか?」の答えを本書から探りたくなってしまう。
そして本書のもうひとつの醍醐味が、テレビクルーたちの奮闘ぶりだ。
疲労と睡眠不足で苦痛に顔をゆがめながら倒れそうになる優勝候補の望月将悟に対し、容赦なくカメラを向ける取材班。
正気を失い苛立ちながらも前に進もうとする望月と、撮影拒否されないための「ギリギリの間合い (P164)」でカメラを回す取材班との心理戦は、まるでプロとプロの意地の張り合いのようで読み応えがある。
これまでレースというのは、ひとりの勝者とそれ以外の敗者という構図でしか見てこなかったが、このレースはリタイアした者であっても敗者には到底思えない。
なぜなら、このレースに出場している選手ひとりひとりに、命を賭けたレースに挑もうとする強い動機があり、勝つことだけに意義があるようには思えなくなってくるのだ。
それほどまでに感じさせてくれる本書は、他のスポーツ報道とは一線を画すドキュメンタリーの傑作で、ぜひテレビ放送版とも合わせてご覧いただきたい。
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