オリンピックの光と影
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2020年夏季五輪開催地として、東京が決定した。 多くの日本人が歓喜に沸く一方で、早くも地価の上昇や、建設ラッシュによる震災復興活動の遅延など、負の側面が浮上してきている。 このような様々な問題が噴出していることは心配なことではあるが、それでも、世界一流選手のパフォーマンスや熱気を間近に感じることができる巡り合わせに恵まれたことは、多くのスポーツ関係者にとって大きな期待を抱かずにはいられない。 本書は、幾多の五輪開催決定に至る過程を取材してきた読売新聞の記者で、開催都市決定の裏で行われている様々な駆け引きを臨場感たっぷりに描写してくれる。 主たるテーマは、IOCや各都市招致関係者とのやり取りを通じたロビー活動の実態なのだが、「オリンピックを開催する意義」についても考えさせられた。 経済危機がささやかれるスペインのマドリード、反政府デモが表面化したトルコのイスタンブール、そして福島原発の放射能汚染水が不安視される東京の3都市で争われた招致レース。 いずれも開催都市として不安要素を抱えているなかにあって、サッカーのレアル・マドリードに代表されるスポーツ民度の高いマドリード、イスラム圏での初開催を目論むイスタンブールに対して、東京には「WHY」がないと批判されていた。 この不安と批判に対して、安部首相は開催都市を決定する投票直前のプレゼンテーションにおいて、汚染水に対する不安はないと断言したことに加え、震災復興をテーマに「スポーツの力」を訴えた。 震災はネガティブな印象を与えかねないと、当初は触れたくない話題だったはずだが、あえて語ることにより、「スポーツの力」を信じる東京のプレゼンテーションが深い意味を持つ物語を紡ぎだし、「WHY」に対する答えを導き出した。これにより開催意義を強く訴えることに成功したことが、勝利に至った要因の一つだと著者は記している。 では、「スポーツの力」とは一体どのようなことを指すのだろうか? 著者は様々な都市の成功事例と失敗事例を紹介しながら、オリンピックを一過性のイベントとしてではなく、その後に有形無形の「レガシー(遺産)」を残せるかが大切であると説いている。 後世に何を残すのか、と聞かれたときに、競技施設の活用など、有形のレガシーは思い浮かぶが、IOCによると、「 無形のレガシーこそが、その国や人々に長く残る影響を与える(ロゲ前会長)(P181)」とその重要性を語っている。 「無形のレガシー」とは具体例がすぐに思い浮かばないのだが、たとえば、2000年のシドニー夏季五輪や、2010年のバンクーバー冬季五輪での、先住民を巡る融和活動などが良い事例であり、また1964年の東京夏季五輪においては、「 国民が大会開催の成功と日本選手の活躍に見た自信や希望、日本が国際社会に受け入れられたと感じ、世界と伍していく気概を持ったこと(P181)」が、その後の経済成長、国際貢献の底流になったと著者は分析している。 しかし、いまや成熟した都市に成長した現在の東京で、これ以上何をレガシーとして残せるのだろうか? 著者は、同様に先進都市であるロンドンで開催された2012年大会を事例に、東京が描くべきビジョンを示唆してくれる。 「 負けてもライバルを尊重する、選手や観客のフェアな態度が、スポーツへの理解の深さや英国気質の品格を再発見させた。(P219)」と、一言で書いてしまうときれいごとのように聞こえてしまうが、オリンピックが閉幕した後も、「 世界各地の英国大使館が、英国への印象が高まった、と報告してきたともいい、五輪がもたらした社会変化は、英国の「ブランド」の高まりにもつながった(P219)」そうだ。 また、学校、地域、職場でスポーツを奨励することを全国的なプロジェクトとして展開したことで、2012年に英国で定期的に体を動かす人の数は、開催が決まったその7年前に比べて100万人以上増えたという。 日本では競技場の新設など、インフラ整備に議論の焦点が当たりがちだが、日本中、いや世界中の人々に長く記憶に残る「無形のレガシー」をどのように築き、伝承していくべきか。スポーツの力を信じているひとりとして、深く考えさせられた一冊です。 |