古代の人々は、現代人よりも長く走ることができたし、重いものを持ち上げることもできたという。
いや、そんなはずはないだろう。
100年以上続くオリンピックの記録推移を見ても、第1回大会と現代では遥かに記録の差があるではないか。
そんな疑問に対して、自然のなかで「スマートボディ」をつくりあげることこそ、実用的な身体の使い方であると著者に説くエルワン・ル・コーの言葉に、著者は思わず後頭部を殴られたような衝撃を受ける。
400ポンドのベンチプレスができても、窓によじ登って燃えさかる建物から人を助け出せない人はごまんといる。マラソンを走れても、まず靴を履かないと誰かの救助に駆けつけられない人もいる。毎朝プールで何往復も泳いでいるのに、深く潜れなくて友人を助けられないとか、波にのまれないよう岩場へ運ぶ方法を知らない人も多い。 (P298)
たしかに、一定のルールのもとで行われる競技会で好成績を収めたとしても、それが本当に実用的なのか? そのスキルが本当に必要なときに発揮できるのか、と問われると、首を傾げそうになってもおかしくない。
では、「本当に必要なとき」とは一体どんなときだろう?
たとえば、戦争で大切な人を守らなければならないとき、はまさにその緊急事態に該当するだろう。
本書は、第二次世界大戦においてナチス・ドイツに狙われた小さな島・クレタ島を舞台に、人類に秘められた身体能力の秘密に迫る長編大作で、科学的かつ歴史学的にも学ばされることが多いエッセンスが詰まっている傑作だ。
本書が訴えている点は、現代の常識は科学的に正しいのか、という点だ。
たとえば前述のエルワンは、フィットネスクラブはまやかしの上に成り立っている (P285)と断言し、世界全体で750億ドルビジネスであるにもかかわらず、その60%以上が、料金を払いながら足を運んでいない事実を暴露し、それまで機能的な動きを追求していたボクサーに代わり、床面積が少なくて済むエクササイズマシンが隆盛となったことは経済的には巧妙な戦略 (P288)であり、新しいスキルを習得したかどうかではなく、目標の数値を達成したか否かが基準になったことは、ファストフードのようにお手軽で均一な巨体が旬になったのだ (P290)と現代のフィットネスに関して疑問を呈している。
それだけではない。いまでは常識のように言われている運動中の水分補給もまた、その必要性が疑わしい。
のどの渇きだけを信用するな (P370)とばかりにゲータレードなどの企業が、糖分入り飲料の重要性を提唱していたものの、「ランニング辞典」の著者であり、カーボローディングの主唱者として知られるティム・ノークス博士は、医学文献には、脱水状態がマラソンランナーの死に直結すると証明した報告はひとつもない (P372)ことを指摘しただけではなく、水の飲みすぎは血中ナトリウム濃度を低下させ、死亡するケースが多いことを発見する。
ノークスにして、「水分補給の科学」は、マーケティング担当者たちがどこの家の台所にもある化学物質を数十億ドル産業にしようという目論見から生み出した、プロバガンダだ (P373)と断言するまでに至る過程は、これまでの常識を覆す視点で興味深い。
好奇心を刺激される極めつけは、身体を動かすエネルギー源に関する推察だ。
これまでノークス博士がカーボローディングを提唱していたように、炭水化物を身体に貯めこむことは長距離競技では有効と考えられていた。
だが、その後ノークス博士は懺悔した (P368)。
パスタ、エナジーバー、パンケーキ、ピザ、オレンジジュース、米、パン、シリアルなど精製された炭水化物全ては、砂糖が姿を変えただけであり、燃料としては失格だと喝破するフィル・マフェトンは、脂肪をもっと使えば、もっとエネルギーをつくり出せるし、炭水化物の貯蔵は長持ちする (P362)と提言する。
なるほど、マフェトン理論と呼ばれるフィットネスの神髄はこの点にあったのかと、気づかされたようだ。
おもしろい。
これほど好奇心が刺激される書籍に出会えたことは、この上ない幸せだ。
だがその一方で、残念な点も多い。
たとえば、ブルース・リーを題材にした筋膜の重要性について大変興味深く読んでいた(P94以降)のだが、テーマが次々に移り変わり、単行本としては中途半端な印象が残ってしまう。
本書謝辞によると、ナチュラルムーブメントと、クレタ島での途方もない戦時中の冒険について、著者はテーマを決めかねていたと吐露しているが、たしかにこれほど広範な内容を一冊にまとめるのは無理があった気がする。
本書を読んで、サイエンスとしてはすばらしい発見があった。そして知られざる歴史も知ることができた。その意味では非常に稀有な書籍なのだが、セリフはあまりに冗長すぎ、450ページを完読するには忍耐が要求される。
読者に消化不良を起こさせてしまうよりは、分冊したうえでテーマを絞ったほうが高いクオリティに仕上がったのではないだろうか?
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