日本人のマラソン好きは、世界でも珍しいようだ。
2時間を超える実況中継では高視聴率を保ち、誰もがフルマラソンの距離をメートル単位まで知っている国民は、日本人だけだとも言われている。
しかもマラソンだけではなく、駅伝という長距離リレー競走が生まれ、本格的な競技として普及しているのも日本だけだ。
マラソンはなぜこれほど日本人に愛されているのか。日本人にとってマラソンとはどのような存在なのか。
それを探ろうとしたのが本書であり、日本初のマラソンからはじまり、国際大会での活躍、日本独自の実業団制度の果たしてきた役割など、非常に幅広いテーマを取り上げている。
本書の特徴は、様々な文献をもとにしつつ、著者独自の考察を加えており、これまでの歴史的事実だけではなく、そこに至った背景なども教えてくれ、非常に中身の濃い作品だ。
たとえば、私が最も印象に残ったテーマが、ベルリンオリンピック(1936年)のマラソンで金メダルを獲得した朝鮮出身の孫基禎の栄光と苦悩だ。
日本の統治下に置かれていたとはいえ、初めてのオリンピックでのマラソン金メダルを「日本にもたらした」ことは、政治的にかなり神経質な話題なのか、私がこれまで読んできた書籍ではあまり深入りした記述は無かったように思う。
著者は本件に関して、「ベルリン・オリンピックのマラソンに関しては、信頼できる資料がほとんど残っていない 」、「ベルリン大会の金メダルが孫基禎にもたらした日朝双方からの圧力は想像を絶する (P81)」と、調査が困難であったことを吐露している。
一方で、国際オリンピック委員会によると、国家間の歴史的な内情に踏み込まないという原則から、孫基禎の所属は日本と認めているという(P94)。
「日本初の金メダル」を語る上で様々な問題があったことは承知しているが、ここまで深くこの背景を探った本に初めて出会った思いだ。
その後、日本は敗戦を経験し、戦前と戦後で歴史的転換期を迎えたわけだが、復興の象徴とされた東京オリンピック(1964年)での円谷幸吉の銅メダルを皮切りに、いまなお記憶に残る名ランナーが次々に生まれていったことは誇らしい思いだ。
円谷の自殺は非常に悲しい歴史ではあったものの、その後メキシコオリンピックでの君原健二の銀メダル獲得以降、瀬古利彦、宗兄弟、伊藤国光ら実業団のスター選手が続々誕生した。
期待されたロサンゼルスオリンピック(1984年)こそメダルなしに終わったものの、その後は中山竹通が登場し、ソウルオリンピック代表選考とされた福岡国際マラソン(1987年)での雨中の独走劇は、数々の名場面を見てきた著者をして「日本のマラソンの神話 (P236)」と言わしめる壮絶なレースだったという。
本書は最高のライバル関係と言われた瀬古と中山それぞれにも独立した章を設け、専門誌の特集記事なども紹介しながら、興味深い証言を数多く提供してくれる。
ところで、日本のマラソン界を語る上で外せないテーマといえば、やはり駅伝の功罪だろう。
企業や学校という組織の一員であるコーチや選手にとって、組織の一体感を共有しやすく、宣伝効果も高い駅伝は欠かすことはできず、トラックの長距離種目やマラソン強化という目的であったはずの駅伝は、すでに主従関係が逆転してしまっている。
そんな駅伝偏重の傾向に警鐘を鳴らすように、組織に属さない異色のランナー、川内優輝や藤原新らの挑戦も最終章で紹介している。
著者だけではなく私も、将来彼らの挑戦を振り返ったときに、「あれが日本マラソンの歴史の転換点だった」と呼べる存在になってくれるのではないかと大いに期待をしている。
それにしても、本書がこれだけ広いテーマを、わずか300ページ余りのコンパクトな単行本にまとめていることには驚かされる。
中身が濃いので、読み切るには相応の時間を要したのだが、人名索引や参考文献一覧も充実していて、日本のマラソンの歴史を通史で学ぶには最適な一冊ではないだろうか。
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