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ヒーローたちの報酬

ヒーローたちの報酬
著者 武田薫
出版社 朝日新聞社
出版年月 1990年10月
価格 \1,050
入手場所 市立図書館
書評掲載 2010年9月
★★★☆☆

 1987年の福岡国際マラソンは異様な空気に包まれていた。
 それは、中山竹通が氷雨のなかを独走し、圧倒的な強さを見せつけたから、というだけでなく、翌年のソウルオリンピックにおける、実質的な一発選考会と認識されていたからに他ならない。
 そして、その話題の中心にはいつも、優勝した中山に加え、故障欠場した瀬古利彦、そして3位に入賞しながらも代表から漏れた工藤一良がいた。

 本書は、多種多様なスポーツ選手13名を取り上げ、「結果」だけを取り上げるジャーナリズムを否定し、彼らの故郷を訪ね、両親や指導者へ取材をしながらアスリートの育ってきた「過程」を記した短編集である。
 取り上げた人物のなかには、ゲートボールを愛する老雄もあり、トップアスリートだけでなく、スポーツを愛する者たちが、金銭以外にどんな「報酬」を求めて競技に取り組んでいるのかを探っているようだ。
 なお、陸上競技関係では、上述のマラソン種目3名以外に、やり投げの溝口和洋が登場している。
 ヨーロッパの伝統競技である「やり投げ」で世界記録に迫る活躍を見せた、感情的な「異邦人(P88)」の強烈な個性と競技哲学は一読の価値がある。

 しかし、やはり本書の醍醐味は上述の選考会を取り上げたマラソンにある。
 というのも、本書の構成は、基本的に各章が独立しているのだが、中山、瀬古、工藤を取り上げた3つの章だけは、上述の選考会に関する一貫したテーマがあり、それぞれの立場から語る対照的な心情が非常に興味深い。
 とりわけ、P96に記された数行、「『(瀬古さんは福岡に)這ってでも出るべきです』と独特の高音で言ったと伝えられ、確かに言っただろうなと誰もが納得した。」という一言には、中山の瀬古に対する苛烈なライバル心が凝縮され、その一方で、工藤一良がポツリと語る「ボクはいつも、もう一歩なんです。だから、走り続けてきたのかもしれないですね(P138)」という一言は、これまで日の目を見ることが叶わなかった彼の半生を象徴しているようだ。

 本書は、物議をかもしたソウルオリンピック・男子マラソン代表選考会で、議論の中心となった人物を深く取材した作品として貴重な内容だ。
 それだけに、他の種目を取り入れるよりは、このテーマを膨らませた作品にした方が、よりストーリーに厚みが出たような気がする。
 また、文学的技巧に凝りすぎている嫌いがあり、何度も同じ個所を読み返さなければ理解できない場面に多々遭遇した。
 文学的な潜在能力はあるように感じるが、もう少し読者の視点で記してほしい。
 なぜなら、読者から愛されることこそが、ライターとしての「報酬」に他ならないのだから。

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