箱根駅伝は「善」か「悪」か。
これは、過熱気味ともいえる同大会の人気に対して、世界で活躍する選手が育っていない現状を鑑みた際に指摘されがちな意見だが、主催者サイドはこの状況をどのように考えているのだろうか。
本書を手にしたとき、主催者である読売新聞社が大会の意義を否定する書籍を出版することは考えにくく、ちょうちん記事に終始しているのだろう、という予断を抱いていた。
だが、本書は冒頭で大会の歴史と意義を振り返りつつ、(箱根駅伝を創設した)金栗四三が後輩たちに託したリベンジの願いは、五輪の舞台では果たされていないのが現状だ (P14)、と冷静に考察していることは、非常に客観的な記述で、本書がノンフィクションとして高い価値がありそうだと予感させてくれた。
たしかに様々な批判があるとはいえ、サッカーや野球などの巨額な金銭の動くプロスポーツが華やかな時代になってもなお、見る者のロマンをかき立て、長距離走という単純で苦痛を伴う競技に若者たちを繋ぎ止める礎となっていることも、紛れもない事実 (P15)という主張には、改めて同大会の意義を確認させられた。
そして本書の内容たるや、数々の名場面を飾ってきた関係者をひとつのテーマで結びつけ、まるで一本のタスキをつなぐかのようにそれぞれの記事を関連させていく妙味があり、読み物としても高いクオリティを感じさせてくれる。
たとえば、第四章の「福島の系譜」では、藤田敦史が同郷の大八木弘明に育てられ、現在は同じく同郷の柏原竜二を育てる立場に転じている偶然に触れ、世代を超えた系譜が流れていることを紹介している。
そしてその源流にはあの円谷幸吉がおり、いまなお多くのランナーの意識に偉大なメダリストが脈々と生き続けていることを教えてくれるのだ。
ちなみに柏原は学生時代に福島出身の酒井俊幸監督のもとで成長し、憧れだった今井正人から「山の神」の称号を受け継いでいるのだから、「福島の系譜」恐るべしだ。
一方、渡辺康幸や三代直樹ら箱根のスター選手をはじめ、谷口浩美、尾方剛ら世界の舞台で活躍したマラソンランナーだけでなく、小出義雄や坂口泰ら名ランナーを育てた指導者も丹念に取材し、箱根駅伝が彼らの競技人生や指導哲学に大きな役目を果たしていることを丁寧に紡ぎだしている。
さすがプロの新聞記者と唸らされる記事ばかりで、駅伝偏重の風潮に批判的な私ですら、やはり箱根駅伝はすごいと「洗脳」させられてしまった。
また近年は外国人留学生や、監督・コーチの事実上の「プロ化」も珍しくなくなり、テレビ中継に伴い箱根駅伝は全国に大学をアピールする格好の場 (P222)となっていることは、テレビが箱根駅伝を変えた一面だ (P223)と、社会的なトピックも盛り込んでおり、様々な角度から同大会の本質を描いている。
多くの関係者、そして様々なトピックを紹介している本書ではあるが、一貫して貫かれているテーマは、国際的なランナーを輩出したい、という主催者サイドの痛切な願いだ。
往復200kmを超え、14時間以上もの長時間放送しているにもかかわらず、平均視聴率が30%近いお化け番組 (P221)を生んだことは、興行的にはまれにみる成功事例と言えるだろうが、それでもなお創始者の意志を受け継ぐかのように、あくまで箱根駅伝は通過点であってほしいと訴える姿勢はとても好感が持てる。
またここ数年はマラソンランナーだけでなく、佐藤悠基、宇賀地強や大迫傑らトラックで国際大会入賞を狙えるランナーが出てきていることは心強い限りで、箱根駅伝をきっかけに陸上競技ファンがひとりでも多くなってほしいと願わずにはいられない。
|