走れ、優輝! |
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2011年の東京マラソン。日本人最高の3位・2時間8分37秒の好記録を叩き出した選手は、世界選手権の日本代表に内定。 と、ここまでのニュースならば、従来のマラソンの結果を報道する記事として、見なれた文章だろう。 しかし、競技に専念できる環境で練習している選手を押しのけ、フルタイムで働く地方公務員がこの快挙を成し遂げたのだから、話は変わってくる。 埼玉・春日部東高時代は全くの無名、大学は駅伝強豪校とは程遠い「学習院大学」の出身。 関東学連選抜で箱根駅伝を走った経験があるとはいえ、トラックで目覚ましい記録を出したわけでもない「市民ランナー」が、マラソンでこれほどの記録を出した理由はどこにあるのだろうか? そもそも、フルタイムで勤務する社会人ランナーが定期的な練習時間を工面することは、生半可な気持ちではできないことは、私自身の経験からも容易に想像できる。 本書は、そんな異色のマラソンランナー・川内優輝の幼少期から現在に至るまでを、母の視点から記したエッセイで、巻末には本人自身による競技哲学も語られている。 どんな競技でもいいから、何かスポーツもできる子に育ってほしい(P14)と願う両親のもとで、 勝手に申し込まれたマラソン(P18)で高順位であったことから、優輝のマラソン人生がスタートしたという。 しかし本書に記されている母の指導は、驚くほどのスパルタ式で、毎日のタイムトライアルで常に自己ベストを上回らなければ罰ゲームという、緊張感を伴うものであったらしい。 後に「虐待だったんじゃないか」と回想されるほど厳しい幼少期を経ている姿を見ると、マラソンで常に死力を尽くし、ゴール後に倒れこむまで自分を追いこもうとする精神的な強さの源が、なんとなく垣間見ることができる気がする。 ところで、弟による兄・優輝評は、「本当に自己中心的」で「クセがありすぎ」て「他人に対する配慮が・・・」など、性格的には非常にネガティブな感想が並べられている(ちなみにこのあたりの性格も、つくづく私に似ていると思わされる(笑))。 だが(自分を弁護する意味も込めて)言い換えるならば、一本気な性格がもたらすこれらの悪評は、「強烈に強い意志」の裏返しであり、日常の勤務をこなしながら、厳しい練習を課し、自費で週末のレースに出場する姿からは、至れり尽くせりの環境で結果を出さない(出せない)、多くのセミプロ選手に「喝」を入れる存在だ。 そんな意味では、川内優輝という異色選手の活躍は、エース不在の日本男子マラソン界を活性化させる「台風の目」になっていることは間違いないだろう。 |