皇居周辺にはランナーがあふれ、週末のマラソン大会は即日定員が埋まってしまい、テレビで放送されるマラソンや駅伝は安定して視聴率を稼いでいる。
日本人はランニングが大好きだ。
はたして、本書はこのような狂ったようにランニングに勤しむ日本人を皮肉っているのだろうか?
そんな印象を与えるタイトルではあるが、実は極めて思想的で哲学的な内容だ。
本書に登場する人物は、書籍からの引用もあれば、実際にインタビューを通じたものなど様々だ。
1964年の東京オリンピックで、陸上競技唯一の日の丸を掲げた「英雄」円谷幸吉に始まり、その大会で期待されながら力を出し切れず、4年後のメキシコ大会で銀メダルを獲得した君原健二。
1980年代のマラソン黄金期を築いた瀬古利彦と中山竹通。
そして有森裕子、高橋尚子ら女子マラソンで世界を席巻した小出義雄チームの活躍など、マラソンファンであれば誰もが憧れるスター選手が続々と登場する。
しかし、著者が本書で一貫して訴えていることは、表面的には美談として伝えられていることでも、本当にそんなエンターテインメントで終わらせてよいのか?という穿った見方だ。
とりわけ、有森裕子がアトランタオリンピック・マラソンで銅メダルを獲得し、「自分で自分を褒めたい」という一言が感動的と称されている一方で、彼女を献身的にサポートしていたスタッフらへの取材では(お礼は)言われたことはないですね。アッハハハハハッ、言われない。なんか、ひと言ぐらい、挨拶しに来いよなぁって・・・ (P122)とさみしく語る言葉を聞き、セルフィシュな時代がやってきた。メディア写りの良い、見せかけの言葉は、もういらない。裏で陰で支えた人への眼差しが欲しい (P123)と、昨今のテレビカメラを意識した自己中心的な言動を、辛らつに批評している。
本書は、マスメディアによって作られるイメージは、視聴率が高いことを要求する広告代理店やスポンサーにおもねることが重視され、スポーツの本質を全く伝えていないと憤る。
強烈なプロ意識を抱いてレースに臨んだ中山竹通は、本書のなかで貴重なロングインタビューに応えているが、その言葉はどれをとっても重い。
たとえば、ソウルオリンピックの実質一発選考会と位置付けられていた福岡国際マラソンにおいて、欠場した瀬古に見せつけるかのように圧倒的な走りで優勝した中山は本書のなかで、選んでもらうには見せなきゃいならない場面もあるんです。本当の強さっていうのは、こういうものだっていうのを見せてやらなくてはいけない。マスコミは、わかってないことが多いと思うんです。勝手にヒーローを作ることもあるし、マスコミがよいしょするから、自分が凄い選手になったみたいに勘違いする選手もいるわけですよ (P89)と語り、勝負とは関係のないショーを盛り上げるマスメディアに対して強い疑問を呈している。
なるほど、表面的にスポーツを見るのではなく、その本質を探ろうとするとこういう見方もできるのかと、視野が広がったようだ。
だが一方で、リクルートランニングクラブの元コーチを取材するなかで高橋尚子の元恋人 (P114)というワイドショー的な紹介をし、およそスポーツの本質と関係ない、恋人時代のエピソードを聞き出そうとするあたりは、これまで著者が批判してきたマスメディアと同質の記述ではないかと感じさせられた点は残念だ。
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