著者 |
著:マーティ・キーナート
訳:加賀山卓朗 |
出版社 |
早川書房 |
出版年月 |
2003年4月 |
価格 |
\1,300 |
入手場所 |
平安堂書店 |
書評掲載 |
2003年5月 |
評 |
★★★★☆ |
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いわゆる一流大学を卒業し、未来の安定(安泰)を手に入れるためにために勉強一筋に励むのか、未来のスター選手目指して一心不乱に練習に励むのか、日本には“なにか一つのことに打ち込むこと”に対して奇妙な美徳がある、と著者が冒頭で語っていることに、初めは違和感を感じてしまう。 それは、日本だけではなく、どこの国でもそれが当然であることと思い込んでいたからに違いないのだが、本書を読み進めていくうちに、この広い世界にはまさしく文武を両立させている秀才(スカラー)アスリートが多く存在していることに驚かされる。
世界ではじめて1マイル4分の壁を破ったロジャー・バニスター選手は、その世界記録達成の1年後に、陸上競技を引退し、医師(神経学)に身を転じたという(本書第9話より。但し、4分の壁を破った日が「1954年10月6日」と誤記されている。正しくは同年「5月6日」です)。 日本であれば、さっさとスポーツキャスターあたりに“天下り先”を求め、一生そのスポーツを支えに生活していくことが常識となっていて、スポーツ選手の多くは“オツムが弱い”と思われている。
医者や弁護士になることが、必ずしも幸せであるとは言い切れないだろう。また、スポーツ一筋で生活していても、それはそれで楽しい人生だと思う。 しかし、日本からこのようなスカラー・アスリートが生まれないのは、やはり残念で仕方がない。 これは、読んだ者を「人間はやればできるんだ」という気にさせてくれ、目からうろこが落ちてきそう。巻末に掲載された玉木正之氏との対談も、非常に興味深く読ませてもらった。
残念なのは、例示対象が欧米(特にアメリカ)に偏っていること(アメリカンスタンダードがグローバルスタンダードであるという勘違いをしていないか?)。日本が特殊だというのであれば、ロシアや中国などの社会主義国のスポーツエリート教育は、異常と呼ぶべきものではないだろうか。
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