東京オリンピックから数えて、今年(2014年)で50年目の節目を迎える。
2020年には、二回目の東京オリンピック開催が決まったこともあり、当時の大会を振り返る書籍や、テレビの企画も相次いでいる。
なかでも私が注目しているのが、今年の10月11日にフジテレビ開局55周年記念ドラマとして企画された「東京にオリンピックを呼んだ男」だ。
タイトルから想像できる通り、本書はそのドラマの原作であり、数々の経済小説を著してきた高杉良による、500ページを超える長編作だ。
高杉良といえば、銀行を舞台にした「金融腐蝕列島」シリーズや、大手経済新聞の舞台裏を描いた「乱気流」など、ドロドロした社会を現実以上にドロドロに描き、大企業のアンダーグラウンドな世界を教えてくれる、私が大好きな作家のひとりだ。
その綿密な取材や膨大な証言に基づいた作品はフィクションの世界にとどまらず、画期的な個人向け宅配サービスを始めた小倉昌男をモデルにした「挑戦つきることなし」や、信念を貫き国税庁と対立した税理士・飯塚毅を描いた「不撓不屈」など、実在の人物をモデルにした伝記的小説でも数々の名作を残していて、なかでもワタミ創業者の渡邉美樹を題材にした「青年社長」は、いまだに何度も読み返す座右の書になっている。
もちろん本書の旧題「祖国へ、熱き心を」も読んだことがあったのだが、ふと書店で見つけたドラマ化記念の特別カバーに目を奪われてしまい、思わず手に取ってしまった。
1907年に米国・ワシントン州に生まれた日系二世のフレッド・和田勇は、米国の両親や日本の親戚をたらい回しのように預けられ、働くために12歳で家を出なければならなかった。
和田の働きぶりは米国人からも高く評価され、独立後は実業家としての才覚も発揮し、若くして日系社会のリーダーと認められていたという。
だが1941年に太平洋戦争が勃発すると、米国社会の日系人に対する風当たりは強くなり、翌年には和田らが居住する太平洋沿岸で日系人追放令が発令された。
多くの日系人が住居を放棄し、強制収容所行きを余儀なくされるなか、和田はこれを拒み、志を同じくする仲間を誘い、追放令が及んでいないユタ州・キートリーの極寒地で農園を開拓する。
生活が困窮し、いわれなき誹謗中傷に耐える厳しい時代だった。それは終戦を迎え、ロサンゼルスへの移住が許されてもなお、「ジャップ」とさげすまれるなど、日系人にとっては肩身が狭い時代が長く続いたという。
そんな日系人社会に勇気と希望をもたらしたのが、水泳日本チームの大活躍だ。
1949年8月に開催された全米水泳選手権で、古橋廣之進、橋詰四郎ら「フジヤマのトビウオ」による世界記録ラッシュは、米国人の日本人に対する見方が一変した契機となったという。
とはいえ、敗戦後で外貨が乏しい日本にとって、米国滞在は金銭的にも精神的にも心許ない遠征だ。
和田は日本人関係者を自宅に招き、物心ともに厚くもてなした。慣れない海外でありながら、日本に近い環境で生活できたことが、選手たちの大活躍につながったことは想像に難くない。
そして、和田の祖国に寄せる熱い情熱、また厳しい環境の中で培われた行動力と幅広い人脈は、日本のスポーツ関係者だけでなく政治家の間でも評判となり、東京オリンピック招致にあたり、日系米人として唯一の準備委員会委員に抜擢された。
和田の行動力は折り紙付きで、中南米のオリンピック委員を訪問し、次々に「東京確約」の吉報をもたらしていく。まさに「東京にオリンピックを呼んだ男」と称しても過言ではないだろう。
戦争に翻弄された時代に、私心を捨て、祖国の復興に人生を賭けた凄い日本人がいたことに対しては驚かされるばかりだ。
そしてなにより、これほど人に尽くし、破天荒とも言える夫を献身的に支えた妻・正子の存在もまた、本書に欠くことのできない役割を果たしている。
彼らの生き方がドラマではどのように描かれるのか、半世紀前のロマンを想像しながら、今から楽しみになってしまう。
※ 参考Webサイト 2014年10月11日放送予定 フジテレビ開局55周年記念ドラマ「東京にオリンピックを呼んだ男」 |