新型コロナウイルスの感染拡大により、東京オリンピックが1年延期になってしまったものの、同大会のマラソン代表選考は大いに盛り上がった。
その理由は、選考基準が明確であり、だれもが納得するプロセスだったことが大きいだろう。
かつては、ソウル大会で代表の座に滑り込んだ瀬古利彦を巡り物議を醸したり、バルセロナ大会の代表選考では、有森裕子と松野明美との間で揉めに揉めたりもした。
そう、日本で人気が高いマラソンは、皮肉なことに、オリンピックのたびに世論が二分される、後味の悪い代表選考となるのが常だった。
一体、選考は誰がどのように行っていたのだろう?
そんななんとなくアンダーグラウンドな日本陸上競技連盟において、長らく専務理事として組織を束ねてきた人物こそ、本書の著者・帖佐寛章だ。
90歳という高齢であるうえに、その大半を陸上競技に関わってきて、表紙には陸上ひと筋75年 と謳っている通り、日本陸上界の光と影を知る重鎮であることに間違いない。
その功績たるや、最初に国内で高地トレーニングを敢行したのは私だ (P245)と振り返り、都道府県対抗女子駅伝も私の発案で駅伝大会に変えた (P120)と胸を張る。
長らく陸連幹部として活躍された方だけあって、日本陸上界の生き字引のような著者の豊富な経験が本書に凝縮されていて、金栗四三が初めてオリンピックに参加した時代から、現代に至るまでの歴史的トピックを数多く紹介してくれ、著者がそのなかでどのように感じていたのかが舌鋒鋭く記されている。
たとえば、宗兄弟が旭化成からの移籍を考えており、なんとそれを阻止したのが著者であったとか、有森裕子をアトランタオリンピック選考レースとして北海道マラソンに出場させたのも著者だったとか、にわかに信じられない暴露話が満載だ。
たしかに著者は、日本陸上界において重責を担ってきたことは想像に難くない。
だが、政治家らの回顧録に見られる傾向ではあるが、あれもこれも自分が手掛けたこと、と自慢げに語る記述が鼻につき、やや信ぴょう性を疑ってしまう。
なぜなら、私はこれまで300冊以上の陸上競技関連の書籍を読んできたのだが、不思議と「帖佐さんに助けられた」と謝意を伝える人物には、ついぞ会ったことがない。
書籍としての完成度も、時系列がばらばらで、テーマも一貫しておらず、脱字も少なくない。
また、数々の競技関係者や政治家を実名挙げながらこき下ろしており、後味の悪さを与えてしまうのは、陸連の悪しき伝統なのだろうか。
参考書籍:帖佐寛章伝 マラソンへの憧憬 |