しぶといなー。
学生駅伝で帝京大のレースを見ているとつくづくそう感じてしまう。
競争が激化する箱根駅伝では、有力校であってもシード権を確保しつづけることが難しくなっている。
現に、平成になって優勝している山梨学院、順天堂、中央、神奈川に加え、昨年は駒沢が力を発揮できず、今年は早稲田もシード権を失った。亜細亜に至っては久しく本選にすら出場できていない。
そんな過酷な環境のなかで、帝京は毎年しぶとくシード権内に入っている。
高校時代から活躍している選手が入学しているのであれば当然の結果だろう。しかし著者が監督就任した頃のチームは箱根本選出場を逃し、選手のスカウトにも苦しんでいた。
そのため他大学が目を向けないようなニッチな高校・選手を地道にあたり、ダイヤモンドの原石を発掘していったことが、雑草軍団の強さに結びついているのだろう。
たとえば、監督就任7年後の2013年の箱根駅伝では過去最高の4位に入る躍進を見せたが、この大会を走った10人の高校時代の自己記録を見ると、5000メートルで14分30秒を切っている選手が1人もいなかった (P78)ほどだ。
大学入学当時は力が低かった選手が伸びている。
毎年「陸上競技マガジン」が集計している記録達成率、つまり大学4年間でどのくらい自己記録を伸ばしたかのランキングで、同大は2011年には1位を筆頭に、ベスト10に4人も名を連ねたという(P53)。
ではなぜこれだけ成長できるのだろうか?
よほど揺るぎない指導哲学を有しているのかと思いきや、冒頭から私は一貫性のない指導者 (P14)と自称するや、何度となくトライアンドエラーを繰り返していることに驚かされる。
ちなみに本書のタイトルでもある「自分流」とは同大の教育理念でもあるそうで、指導者は、あくまでも練習内容を提示するだけで、最終的に色づけをするのは、選手自身だ (P75)と自主性を重んじる様子が伝わってくる。
突出したエースがいないながらも、メンバー全員が平均して力を発揮する。
帝京大はよく”雑草軍団”などと称されることもあるが、雑草という名前の植物があるわけではない。それぞれの草花にはちゃんと名前があるのだ (P50)と選手の個性を生かした指導こそが、安定した強さの秘訣なのかもしれない。
また、競技力だけではなく、社会に出て恥ずかしくない人材を送り出したいという願いがそこかしこに感じることができ、言われた通りに動くだけではなく、自ら考えて行動することの大切さがチームに浸透している。
箱根駅伝については様々な立場から賛否両論があるが、明確な目的意識を持たずに大学に入ってくる学生が増えているなか、一人前の社会人を育てるという意味では、学生スポーツの本懐を遂げているに違いない。
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