連日パラリンピックの熱戦が報道されている。
いつもであれば見逃してしまいそうなのだが、今回は地元開催であり、ゴールデンタイムでライブ中継されていることに加え、ニュースや新聞で否が応でも目にしてしまう。
そこで気づかされたのは、彼らのパフォーマンスは健常者のそれに勝るとも劣らない点だ。
口でくわえたラケットを操る卓球選手や、片腕だけで泳ぐ水泳選手など、スポーツの持つ可能性は、我々の常識的な想像力を軽々と超えてくれることに、驚かされてしまう。
陸上競技においては、地元の長野マラソンで車いすマラソンが同時開催されていたこともあり、比較的身近に感じていたのではないかと思う。
だが、同じマラソンでも視覚障害となると、別次元だった。
見た目は全く健常者と変わらず、おそらくは「お涙頂戴チャリティマラソン」のように、至れり尽くせりの伴走にサポートされ、およそ競技スポーツと呼べるものではないのだろうと思い込んでいた。 だが本書を読んで打ちのめされた。
目が見えないのに走ることは、とてつもなく恐ろしいことなのだ。
前はうっすら見えるだけ。足元の段差にも簡単に気づくことはできない。なにより、視覚障害者にとって玄関の外に出ることは、危険と隣り合わせなのだ。
著者は中学生時代に右目の違和感を覚え、四度の手術を重ねたが改善することなく、社会人になってからは左目も同様の症状に陥り、両目の視力が0.01以下に陥ったという。
のちに遺伝性の難病であったことを知ったが、当時は私の生きる意味、価値、役割ってなんなんだろう (P36)と何度も自分を責めたという。
だが、25歳で母に強引に連れていかれた盲学校へ通うと、想像していた以上に明るく元気な生徒ばかりであることに驚き、どんどんと気持ちが変わっていく。
もともと体を動かすことが好きだった著者は、弱視でもわかりやすいコントラストで配慮されたトラックを走りながら、徐々に走る爽快感を思い出していく。
なにより、盲学校の仲間に恵まれたことが、その後の著者の成長につながったに違いない。
著者が修理中のエスカレーター点検口に落下し、大けがを負った際も、先輩から順調な時よりも、苦しい時にどう生きるかで人間の真価は決まるもの (P47)とアドバイスをもらい、なにごとも別の視点で考えてみると自ずと道が開けることを知ったという。
その後は、トラック種目のT12部門800m走と1,500m走で日本記録を樹立するも、世界との壁が高いことを痛感し、なんとマラソンへも挑戦してしまう。
しかも100kmウルトラマラソン完走の快挙や、エリートランナーが集う大阪国際女子マラソン出場権獲得など、次々に壁を破り、ついには英国ロンドンで行われるIPC(国際パラリンピック委員会)マラソンワールドカップへも出場してしまうなど、その快進撃は痛快だ。
その秘密は、ふっきれたように前向きに生きようとする彼女の生き方にあるのだろう。
というのも、本書に登場する彼女の写真は、いずれも溢れんばかりの笑顔に満ち、周囲に笑顔のオーラを届けているように感じさせてくれるものばかりなのだ。
もちろん、視覚障害であるがゆえの偏見に悩み、心無い言葉に傷ついてきたことも綴られているが、そんな自分をまるっと受け入れ、真剣に競技に取り組む姿勢は、全ての読者に勇気と希望を与えてくれるに違いない。 |