著者 |
木村幸治 |
出版社 |
新潮社 |
出版年月 |
1984年7月 |
価格 |
\950 |
入手場所 |
市立図書館 |
書評掲載 |
2005年9月 |
評 |
★★★★★ |
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1984年8月13日。その日は日本中がテレビの前で、ひとりの日本人選手がトップでゴールする瞬間を信じて疑わなかったという。
当時世界最強と呼ばれ、ロサンゼルスオリンピックの金メダル候補筆頭と目されていた瀬古利彦。
そして彼を育てた男の半生を追った作品として、本書は後世に残る名作となるはずだった。
いかなる時も、愛弟子を自らの目の届く範囲に置き、些細な心身の変化をも決して見逃すことのなかった偉大な指導者は、皮肉にも本書が上梓されていた頃、自らが癌に侵されていることを知り、オリンピック直前の大切な調整期に、選手と距離を置いてしまう。
後年「その男」・中村清の死後に出版された「伴走者」の最終章には、それらの件について(中村は)ロサンゼルスに限っていくつかの失敗を演じた と、著者なりの総括を加えている。
おそらくはその「いくつかの失敗」のみによって、中村と瀬古の稀代の師弟コンビが歩んできた道のりと偉業の数々は過小評価されてしまっているかもしれない。しかし、選手の走りを一瞥しただけで弱みや強みを見抜き、数日後のレース展開やタイムすらも予言し、的中させてしまうなど、今なお語り継がれているカリスマ的な魔力を有した指導者がいたことは、マラソン・ニッポンの輝かしい歴史においても、高く評価されてしかるべきだろう。
本書は、前述した「伴走者」のモデルとなった作品であり、しかもその「あとがき」で著者が、これこそ(中村清を探った)私なりの決定版だと信じている と語っていて、自身の処女作でもある本書は(内容について誤解を招くタイトルを含め)不本意であったことを吐露している。そのため、「伴走者」を先に読了していた私は本書について期待薄だった。 しかしよく読み比べてみると、むしろ本書の方が、中村と瀬古をめぐる細かなエピソードが豊富で、より「人間・中村清」をうまく描き出している気がした。 瀬古選手との出会いに至る経緯や、ヤミ市での「士族の商法」などをはじめとした微笑ましいエピソードをなぜ「決定版」と称する作品では削ってしまったのだろう。 あえてこれらのエピソードを削ることで、著者は読者に対してどんな「中村清」像を伝えようとしていたのだろう。 ますます深まる「中村清」の謎。いつの時代になっても、「凄い人」の魅力は、人を惹きつけて止みません。
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