ここ数年、箱根駅伝を率いる監督に、若い人材が増えてきた気がする。
紆余曲折があったとはいえ、東洋大に酒井俊幸が就任した際には、30代前半という異例の若さに驚かされたが、その後は中央大では藤原正和が、順天堂大では長門俊介が駅伝チームを率いるなど、名門校でも若返りが図られている。
最近は坪田智夫(法政大)や、山本佑樹(明治大)など、私と年齢が近い名選手を再び目にする機会も増え、関東地域の大学駅伝界では新陳代謝が急速に進んでいる。
本書の著者もまた1978年生まれという若さで、まさに私と同世代だ。
同世代の人物が活躍することに、妬みがないといえば嘘になるのだが、決して順風満帆でなかった著者の半生を知り、そんな器の小さい考えは吹き飛んでしまった。
というのも、著者が監督就任した当時は、大好きな陸上競技の世界で職を得たとは言っても、大学のOBではないため人脈は薄いし、待遇は1年契約の嘱託職員という崖っぷちな立場だったという。
さらに条件が悪いことに、國學院大学は陸上競技の世界ではほとんど知られていない新興校だった。
著者は往時を振り返り、私はネームバリューもない上に、30代前半の若造で、高校の指導者にも、選手の親御さんにもなかなか相手にしてもらえなかった。 (P182)と、当時のスカウト活動の難しさを語っている。
それだけに、著者が独特の感性で選手を発掘し、信念をもって育成し、そして着実に強化するに至った過程は魅力的だ。
では著者の信念とはなんなのだろう?
それは「熱さ」と「人情」だろう、というのが、本書を読んだ後に抱いた感想だ。
たとえば、監督であれば時に冷酷な判断が必要になるが、箱根駅伝でやむなくメンバーから外すことを学生に伝える場面では、本人と面会する前から落涙し、一方でゴールシーンでは当然のように選手と抱擁を交わす。
チームを率いる絶対的立場でありながら、学生との「距離感」や「間」を大切にし、時間をかけて信頼関係を築いていこうとする姿勢は、選手の個性をきめ細かく見極めることに役立っているに違いない。
おそらく、こういった特徴こそが重鎮には真似のできない術であり、著者の強みなのだろう。
そしてなにより、陸上競技をバカになって追及してこそ、社会で成功するのだ、という哲学が貫かれていることもまた、学生への愛情を感じさせてくれる。
確かに陸上競技の外側には広い世界があるが、陸上競技を通じても、組織のことだったり、自分自身のことだったり、学べることはたくさんある。「陸上競技しかしていないから、社会を知らない」などと言う人もいるが、それは違う。陸上競技を通じて、社会と向き合うことはちゃんとできるのだ。 (P210)と続く数行は、思わず何度も読み返してしまった。
四年間という限られた時間を全力で競技に費やすことは、社会に出てから生きてくる。
それは、自身が学生時代に主将として箱根駅伝初優勝を果たし、実業団でもプロとして競技を続け、引退後はサラリーマンや家業を手伝う多様な経験を経た、著者だからこそ得ることができた信念であり、そんな一本気な著者の言葉が、情報過多な若者世代の心に、ザクリと突き刺さるのかもしれない。 |