数ある日本プロスポーツ界のなかでも、「プロ野球」は知名度や経済規模において、その頂点に立つ国民的エンターテインメントに相違ないだろう。
それは、子どもたちの憧れであり、「甲子園」は青春の代名詞だ。
観衆は勝つことよりも、ひたむきに白球を追う姿に感動し、人生を重ねてしまう。
そう。
野球とは観衆のロマンを誘う競技であり、だからこそ、日本人に愛される競技たる所以なのだろう。
本書を読むまで、スポーツコーナーで紹介される程度の見識がない私にとって、「プロ野球」とはその程度の世界でしかなかった。
だが本書を読み、後頭部をガツンと殴られたほどの衝撃を受けてしまった。
プロ野球の世界、いや・・・、少なくとも落合博満のもとでは、極めて冷徹な「勝者こそ正義」である厳しい価値観を、本書は教えてくれる。
500ページ弱に及ぶ大著ながら、週刊文春連載時から話題になっていたと聞き、単行本が発売されるや否や、夢中で読みふけってしまった。
普段であればすぐに書評にまとめているのだが、思いがけず魅力的で濃すぎる内容に驚いてしまい、いつの間にか読後半年以上も経ってしまった。
それが最近、Sports Graphic Number 1058・1059号(2022/9/8発売号)で「落合博満と野村克也。」が特集されているのを読み、ふと本書の存在が蘇ってきた。
そこで紹介されていた「みんなの読書感想文」「私は『嫌われた監督』をこう読んだ。」は、野球界のみならず、映画監督や芸能界から忌憚のない感想が寄せられ、思わず「(そうそう!)」と、同好会的な仲間意識に浸ってしまった。
とりわけ、2007年の日本シリーズにおいて、完全試合目前の山井大介を最終回で交代させた衝撃と、その采配の是非について論じる侃々諤々の井戸端談義は、いまでも私の記憶から離れない。
プロ野球とは、エンターテインメントではなかったのだろうか?
そんなガラスのような「夢想」を冷淡に砕いてくれたのが、この日のゲームだったに違いない。
本書では第5章で、その伝説の一日について、山井本人ではなく、リリーフした岩瀬仁紀でもなく、そして落合が絶大な信頼を寄せる投手コーチ・森繁和でもなく、なんとブルペンに控え、同じ社会人野球出身、四歳下の山井とは酒を飲みにいく仲だった (P192)という岡本真也を主役として語らせることで、その尋常ではない緊迫感を読者に伝えてくれる。
日本シリーズ最終ゲームで、完全試合を達成するのではないか、というファンの期待をあっさり無視し、日本中を唖然と言わせた投手交代を告げた。
山井がもういっぱいだと言うので、代える分には抵抗はありませんでした (P219)と記者会見で答える落合に対し、納得のいかない著者は脱稿直前まで落合を待ち、そして真意に迫る問いを掛け、その答えを得ることに成功する。
情報流出を忌避するがゆえにマスコミを避け、そして勝つためには手段を選ばないとも評された冷徹非情 (P236)な人物はしかし、粘り強く取材を試みる番記者(著者)に心を開いていく。
そして著者はその心意気に応え、この歴史的人物を、後世に残そうと決意したのだろう。
自宅の門前で追い払われていた著者はいつしか、落合とグラスを重ねながら、俺が本当に評価されるのは・・・・・・俺が死んでからなんだろうな (P241)としんみり語り合うほど、信頼できる関係になっていた。
プロスポーツの真理は、ロマンなのか、それとも勝利なのか。
落合が指揮を執る野球は、常に賛否が渦巻いていた一方で、そんな稀代の野球監督の真実に、記者人生を賭けるかのように迫り、そして流れるようなストーリーを紡ぎだした本書は、紛れもなく傑作のスポーツノンフィクションだ。
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