著者 |
川嶋伸次 |
出版社 |
バジリコ |
出版年月 |
2009年8月 |
価格 |
\1,600(税別) |
入手場所 |
bk1 |
書評掲載 |
2009年8月 |
評 |
★★★★☆ |
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優勝候補の駒沢大学、早稲田大学らが注目されていた今年の箱根駅伝(2009年・第85回大会)を制したのは、前年度に辛くもシード権を死守した東洋大学だった。 東洋大学といえば、箱根駅伝本戦での出場経験こそ多いものの、優勝争いに絡むどころか、毎年シード権争いが焦点になる中堅校という印象が強かった。 いや、本戦出場できれば、まだ健闘していたほうかもしれない。事実、2000年、2001年の予選会で惨敗し、2年連続で本戦出場を逃すという辛酸を嘗め続けていた時期もあったのだから。 しかし、あきらめムードが漂うそんなチームが、ある男の登場によって一変する。 それは、かつて実業団最強と謳われた名門・旭化成のエースとしてマラソンや駅伝で活躍し、オリンピックにも出場した名ランナー・川嶋伸次だ。
ところで、今年の箱根駅伝は、振り返ってみると東洋大学が常に話題の中心にあった気がする。それは、部員の不祥事によって出場すら危ぶまれ、監督を務めていた著者が即刻辞任するという緊急事態があったにもかかわらず、大会本番では各選手が活き活きと任された区間を駆け抜け、下馬評を覆す栄冠を勝ち得たからにほかならない。 優勝に至った要因は様々考えられるが、最大の功労者は、わずかな期間で伝統に甘んじていたチームの改革を断行し、常に上位争いを意識させた練習を強いた川嶋前監督にあることは、長らく大学駅伝の趨勢を見つめてきた多くのファンにとって、容易に推測がつくことだろう。 しかし、私をはじめとした多くのファンの期待に反して、陸上専門誌や箱根駅伝を特集した紙面に、川嶋が取り上げられることはほとんどなかった。 なんだか社会的な事件と、指導者としての功績を混同し、臭いものに蓋をするかのような報道の在り方に、非常に違和感を覚えてしまった。 もちろん、同氏が頑なに取材を拒否していたことも、その要因として考えられる。そうだとすれば、いずれ本人によるノンフィクションが出版されるだろうと思っていた矢先に、本書を偶然インターネットで見つけてしまった。 事件発覚から辞任に至るまでの過程を、そしてあの感動的な初優勝をどのように見つめていたのかについて、本人自身による総括がされているものと期待して手にしてみた。だが、本書の主たるテーマは、そんな狭い領域にとどまるものではなかった。 本書は、「川嶋伸次」という人物そのものの半生を振り返り、競技生活で悩んできた姿や、そこから得てきた哲学、そして指導者像や、引退後のキャリアプランに至るまで、まさに自伝的な内容になっている。
著者自身は、大学時代にプレイングマネージャーとしてトレーニング内容を管理していたのだが、実業団入社後は、上から与えられるメニューをひたすらこなし、オーバーワークに陥っていった。そのような反省から、「考えないヤツは採らない 」東洋大学のスカウト方針にも共感できたのだろう。 従来は馴れ合いだった練習を一蹴し、寮の門限や、服装などの風紀も改めた。当然、既存の部員からは激しい反発があったようだが、「箱根で勝つ」ために雇われている監督としての信念がうかがえるエピソードが満載だ。 本書を読んでいると、川嶋の指導者としての原点は、まさにこの箱根駅伝にある気がしてくる。 彼は、現役時代に箱根駅伝の優勝を成し遂げることができなかったのだが、この理由について、有力選手がそろっていたにもかかわらず、監督不在であるために、どこかで甘えがあったと振り返っている。 それらの反省も踏まえ、再び戻ってきた箱根の舞台で、自身が手塩にかけて育てたチームに初めての栄冠が輝いた。「優勝監督」の称号を得ることが叶わない悲運はあったものの、チームのメンバーは、彼が残した功績の重みを感じたに違いない。 なぜなら、社会的影響を考慮し、恒例儀式である胴上げを自粛したチームではあったのだが、その後の慰労会場では、密かに功労者の胴上げを行っていたのだという。 宙に舞ったのがその人だったことは、言うまでもないだろう。
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