先週行われた出雲駅伝を皮切りに、これからマラソン・駅伝シーズンが始まることを思うと、ワクワクしてきてしまうのは、私だけではないだろう。
コロナ感染症が懸念されるため、沿道での応援は自粛が求められているものの、やはり日本人はマラソン・駅伝が大好きだ。
特に、国際的には類を見ない長距離リレー競技である駅伝の人気は高く、正月の箱根駅伝は国民的行事といっても過言ではない。
では、その駅伝競技を生み出した人物は誰かと聞かれると、意外と答えに窮するファンは少なくないのではないだろうか。
たしかに、明治に生まれ、戦前に活躍した翁だけに、その名を知らぬ者が多いのは致し方ないかもしれない。
だが、かつて世界一のマラソンランナーと謳われた瀬古利彦ですら、大河ドラマの主人公となられるまでお名前すら知らなかった (P147)と本書で白状するコメントを見るにつけ、ディープな陸上競技ファンである私は、いささか衝撃を受けてしまう。
そうなのだ。残念なことに、マスメディアの多くはオリンピックで優勝だ、メダルだと祭り上げる一方で、期待されながら結果が伴わなかった選手に対して冷酷だ。
たとえば、プロトレイルアスリートの鏑木毅は新聞の連載記事において、メディアは数々のメダリストの喜びの姿をおもに報じる。その陰には、はるかに多くの敗者がいる。五輪のような場では、その差はわずかで、勝敗は時の運といえることも少なくない。 (日本経済新聞電子版 2021年8月12日)と、勝者ばかりが称えられがちな風潮に一石を投じている。
私も同感だ。
だからこそ、陸上競技をこよなく愛する私は、声を大にして叫びたい。
金栗四三の功績は過小評価されていないだろうか、と。
1911年(明治44年)11月19日に羽田で行われたストックホルムオリンピック予選会でのマラソンでは、当時の世界記録を27分も上回る偉業を成し遂げていたものの、国際的には信用されず (P61)、公認記録として残されていない。
「黎明の鐘」となる覚悟を決め、日本人として初めて出場したオリンピックでも、途中棄権の憂き目を見た。
通算3回のオリンピック出場を成し遂げるも、自分は本当にオリンピックには巡り合わせが悪い。金メダルどころか、違う色のメダルさえ獲ることができなかった (P129)とほぞを噛む。
オリンピックで結果が出せなかったから、金栗の功績は失せてしまうだろうか?
いや、翁の残してきた足跡は、記録や順位に残されていない無形の財産にこそ、生きた証が残されているのではないだろうか。
本書は、瀬古利彦、有森裕子らかつて日本マラソン界を牽引した名選手を始め、弘山勉や金哲彦ら著名なコーチへの取材を通じながら、日本初のランニング専門書「ランニング(1916年刊・2019年に復刻版出版)」を読み解きながら、マラソン足袋から話題の厚底シューズに至るまで、マラソン競技に関わる古今東西のトピックを織り交ぜて紹介してくれる。
それはあたかも、陸上長距離の普及に東奔西走し、その後の日本マラソン界が飛躍する礎を築いた翁の功績を現代に甦らせてくれるようだ。 |