日本は空前のマラソンブームだ。
定員3万人弱の東京マラソンには30万人の応募者が殺到し、週末の皇居周辺ではランナーによる渋滞が発生しているという。
それだけではない。
オリンピックのマラソン競技では常に国民の関心を集め、メダル争いに一喜一憂してしまう。
マラソンはなぜこれほど日本人に人気があるのだろうか。
それは、日本スポーツ界の黎明の鐘を鳴らした人物として知られている、この方のおかげに違いない。
陸上競技、特に長距離を専門としている関係者であれば、金栗四三の名を一度は耳にしたことがあるだろう。
たとえば、箱根駅伝の最優秀選手賞をはじめ、金栗の名を冠した競技会やロードレースは少なくない。
よほど偉大な人物であったに違いない、と想像はできるのだが、はたしてどのような功績があったのかを知る人は、今となっては少なくなってしまったのではないだろうか。
かくいう私もその一人で、日本で初めてオリンピックに参加し、箱根駅伝を創設した、という経歴が思い浮かぶ程度だ。
だが本書を読んで、その程度しか知らなかった自分が恥ずかしくなってしまうくらい、日本のスポーツ界に果たしてきた影響が大きいことに驚かされた。
本書は金栗の地元熊本の熊本日日新聞に1960年から連載された記事をまとめた書籍の復刻版で、オリジナルは1961年に講談社から刊行されている。
すでに他界されてから30年以上が経っているが、オリジナル版出版後の余話も充実していて、人間・金栗四三の生涯とその後を丹念に描いた大作だ。
1891年(明治24年)・熊本に生まれた四三少年は、中学では特待生に選ばれるほど学業優秀で、あこがれの軍人を目指していたのだが、結膜炎を患っていたために海軍兵学校に不合格となり、やむなく東京高等師範学校へ進学したという。
当時の学長は、のちにアジア初のIOC委員となるスポーツ界の重鎮・嘉納治五郎だった。
金栗は校内マラソンで好成績を残したことが嘉納の目にとまり、持ち前の「体力・気力・努力」で長距離ランナーとしての活躍の場を広げ、日本が初めてオリンピックに参加したストックホルム大会のマラソン代表として出場する。
しかし国内選考会では世界記録を更新し期待を集めていたのだが、本大会では猛暑による脱水症状で途中棄権を余儀なくされてしまった。
と、ここまでは金栗を紹介するエピソードとしてよく知られているのだが、全300ページを超えるボリュームの本書のなかで、この敗退に関するテーマはまだ半分にも至っていない。
そう、金栗がいまなお「マラソンの父」と称えられ、多くのスポーツ関係者から「先生」と親しまれる所以は、教員としての仕事の傍らで、全国各地を行脚しながらスポーツの効用を説き、その発展に生涯を捧げてきたことにある。
残念ながら自らはストックホルム大会後のベルリン大会が第一次世界大戦により中止され、その後2度の大会でも入賞すら果たせなかったのだが、伝統のボストンマラソンで優勝した田中茂樹や山田敬蔵ら次代のランナーが次々に育っていき、マラソンは日本のお家芸と呼ばれるまでに至った。
いまや駅伝やマラソン人気は衰える気配が見られず、スポーツが身近ではなかった当時と比べて隔世の感があるが、その礎を築いたのがこの方の功績であると言っても過言ではない。
新聞連載記事であったためか、ストーリーが細切れでページをめくる手がなかなか進んでいかなかったのだが、ひとりの人物をよくぞこれほど深く、そして様々な角度から調べたものだと、その完成度の高さに驚かされる。
そしてもう一つの驚きが、これほど歴史的な価値が高い本書がこの価格で手に入ってしまうことであり、まるで私心を排しスポーツの普及に尽力した金栗の信念を反映させているかのようだ。
その心意気に応え、ぜひ多くのスポーツ関係者に読んでもらいたい一冊だ。
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