著者 |
木村幸治 |
出版社 |
講談社 |
出版年月 |
1988年9月 |
価格 |
\1,200 |
入手場所 |
市立図書館 |
書評掲載 |
2005年9月 |
評 |
★★★★★ |
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1980年代のマラソン・ニッポンの一時代を築いた二人のスーパースター・瀬古利彦選手と中山竹通選手にスポットを当てたノンフィクション。 このわずかな一文だけで、マラソン通であれば本書の内容について、ある「対立の構図」を思い浮かべてしまうかもしれない。
エリート街道をひた走ってきた瀬古選手に対し、底から這い上がるように、突如としてトップランナーに伸し上がった中山選手は、それまで歩んできた道のりから、攻撃的なレースパターンや言動、そして結果に対する評価、待遇に至るまで、あらゆる面で対照的であったと言われている。 そんな対照的な二人をどのように捉えるかについて、本書では明確なスタンスが貫かれていて分かりやすい。
「瀬古や中山が活躍した時代」と、1980年代のマラソン界を振り返る時に、一括りに扱われがちな二人だが、全盛期の勢いを失いつつあった瀬古選手と、日の出の勢いで力をつけてきた中山選手とを、レースの結果だけで優劣を判断するのは困難なことだろう。だが著者はあえてそれを承知で、極めて中山選手寄りの立場からペンを取っている。 それは、これまで数多くの瀬古選手関連の執筆を手がけてきた者による作品の傾向からは、意外なものだった。 この疑問に対して著者は「あとがき」において、「私はかつて瀬古利彦というランナーを愛した。しかしいま、私は瀬古利彦よりも日本の陸上界にこれまでいなかったタイプのアスリート中山竹通の方に熱い視線を送っている。人は私を“変節漢”呼ばわりするかもしれない。だが気にはならない。 (中略)、瀬古は、私を一度も感動させてくれなかったのである。 」と瀬古選手を酷評している。
本書は、稀代のランナー二人の生い立ちから、物議をかもしたソウル五輪選考会まで、対照的な二人を対比させ、そして交錯していく場面を活き活きと、詳細に描いている。
また、中山選手の地元でもある、長野に関する話題が豊富なため、私には具体的な情景が思い浮かび、とても親しみを感じることができた。
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