陸上競技の国際大会でフィールド競技をテレビで見ていると、残念ながら欧米選手に比べて日本人選手の存在感は心もとない。
記録が劣っている、という先入観があるのかもしれないが、そもそも身体の大きさが明らかに違う。
それでも、男子ハンマー投で世界の頂点を極めた室伏広治や、やり投で世界記録に肉薄した溝口和洋ほどならば、深夜でもテレビにかじりついてしまうのだろうが、女子種目となると、なかなか第一人者の名前が浮かんでこない。 そんな日本の女子投擲種目において、森千夏は異彩を放ったアスリートだ。
1978年生まれの私にとって、わずか2年違いの森(1980年生)の活躍はまさにリアルタイムで体験している。
特に本書にも登場する豊永陽子、市岡寿実との国士舘大学・砲丸投トリオは、関東インカレで確実に得点を稼ぐ脅威だったことを覚えている。
そんなライバルに囲まれながら森は、大学卒業後も着実に成長を重ね、日本の第一人者となり飛躍していく。
日本人としては前人未到の18m突破。弱冠24歳でアテネオリンピック出場と聞くと、順風満帆のように聞こえるが、驚くことに、この頃には既に病が彼女をむしばみ始めていたという。
オリンピック出場からわずか2年後の2006年に、将来を嘱望されるひとりのアスリートが他界した。
原因は症例の非常に少ない (P254)、完全に治癒する可能性が低い (P259)と言われる虫垂がんだった。
悲劇のアスリート。そんなきれいごとだけではない「生」への執念が本書には刻まれている。
太く短く (P308)。そんな儚くも、自らの意志を貫いた彼女の生涯に、著者は惚れたのだろう。
両親、指導者、友人への丹念な取材を通じ、森千夏という希代のアスリートを読者の記憶に残してもらいたいという願いが伝わってくるような作品だ。
とりわけ、鍛え抜かれた100キロ超の体重が50キロを割るに至る衰弱ぶりには、思わず涙腺が緩みそうになり、アスリートの伝記というにとどまらず、生きていることがどれほど恵まれていることなのかを教えてくれるようだ。
本書を書店で見つけたとき、馴染みのない出版社に、聞いたことのない著者、そして(失礼ながら)センスを感じさせないタイトルと表紙のデザインに、読むに足らない作品なのではないかと思っていたが、パラパラと捲っていくうちに、素人とは思えない専門的な記述と心理描写に、思いがけず衝動買いを余儀なくされてしまった。
本書は、東京高校時代の恩師・小林隆雄への取材を中心に、同僚で親友の池田久美子も介しながら、希代のアスリートの生涯をまとめた貴重な作品であると同時に、女子砲丸投の歴史や、陸上競技の魅力と閉鎖的な世界をも教えてくれる広範でリアルなルポだ。
残念な点は、テーマの切り替えが急で、何度か読み直さないと理解できにくい記述が散見された一方で、砲丸投というややマイナーな競技の魅力と奥深さをこれでもかと知らされたようで、良い意味で期待を裏切られた、読み応え満点の濃厚作品だ。
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